仕事の最近のブログ記事

「私の企画の考え方やプレゼンの話術などの根底には『落語』の影響がかなりあります・・・」 最終章

1)「まくら」の活用術

落語には本題に入る前に「まくら」と呼ばれる、文脈で言うプロローグにあたるアドリブ話しがあります。

「まくら」は歌に見られる「枕詞」が語源と言われていますが定かではありません。

私なりに考えた説は、本来の「まくら」が睡眠に入りやすくするものであることから、

落語ではお客さんが「本題」にスーッと入りやすくする役割で「まくら」と呼ばれるようになったと考えます。

お客が頭を載せる(話しに気持ちを傾ける)から「まくら」という解釈もありますが、概ね同じような意味ですね。

かつての落語は高座に立つ噺家が、お客の入り状況・反応(人数・客の構成・天気など)を

この「まくら」を通じて把握して、それから出し物を決めたそうです。

つまり、今日はこの噺家がこのお題をやりますみたいな習慣(予告先発みたいなもの)は近年から始まったそうです。

それはテレビや小屋のスケジュールを考え、時間通りに進めるためです。立川談志は現在でもこのやり方を貫こうとしています。

「まくら」を実際に一時間くらいやってしまうこともあります。

また逆にお客との相性や本人の気分で事前告知していたお題もたびたびドタキャンします。でも結果的に喜ばせれば噺家の勝ちですよね。

わたしはプレゼンテーションの場面で、落語の「まくら」にあたるフリートークを冒頭に行うことが多いです。

それは企画内容に入る前の地ならしとして、企画の大きな背景にあたる視点を面白く語ることで、

受け手を本題に入りやすくするためです。仕事柄コンセプト(骨子の根幹または文脈の本流)を深く理解して頂くためによく活用します。

特にハードルの高いコンセプトになると、

受け手の理解が得にくい場合もありますが、この「まくら」の効用で説得できたことが実に多いのです。

2)「声色(こわいろ)」の活用術

プレゼンの様々な局面には、

提案にリアリティや雰囲気を持たせるためにターゲットの声・意見・やり取りを組み込むことがあります。

その時には女性・子供・老人になりきって発言します。それが功を奏す場合が多く、

かつては「いたこの羽深」と呼ばれたこともありました。(本当です)

※「いたこ」とは青森の恐山周辺に住む霊媒師のことで、故人の魂が乗り移ったときにその故人の人格に豹変し語り始めるそうです。

落語は一人で高座にたち、全ての登場人物を演じ、それぞれのキャラクターを使い分けることが

「話芸」として重要なファクターになっています。

つまりプレゼンも同じトーンで話すより、場面によっては「声色」を変えて話した方が面白いはずだと考え、しばしば活用します。

3)「さげ」の解説

私はプレゼンの際に、一般的には馴染みのない言葉や事象や現在では使われていないものなどをあえて企画に組み入れ、

それを面白く説明することで、受け手の関心を引きつけ、新鮮に興味を持ってもらう手法を良く用います。

このやり方は現在の落語の高座でもしばしば見られます。落語は、江戸時代の庶民の生活が舞台になることが多く、

時間・お金・長さ・重さなどの単位、毎日使う生活用品、地名・地理、当時の道徳観などは解説しないと話しについて行けないため、

適宜説明を挟むことがあります。この説明を怠ると「さげ(落ちとも言う)」が面白くなくなる(分からない)のです。

まだ他にも多分落語からヒントを得たプレゼンテクニックがあると思いますが、そろそろ時間もよろしいようで・・・

Kazuo Habuka

「私の企画の考え方やプレゼンの話術などの根底には『落語』の影響がかなりあります・・・」 その2

番組の冒頭に、「立川談志」がまだ若い頃に執筆した本に書かれたある言葉が紹介されます。

「落語とは、人間の業を肯定すること・・・」と言う下りです。

人間が行うこと全てを否定や疑念を持って接するのではなく、肯定的に愛情を持って接し(観察し)、

または肯定的に広い気持ちを持って受け止めてやる優しさこそが「落語」なんだ!と改めて感じたのです。

大事なのはこの「肯定的」と言う表現です。

先ずは相手の言動を肯定的に受け止めてあげるような

「ゆとり」「愛情」「優しさ」「懐の深さ」が今の時代欠けているような気がしたからです。

だからといって極悪非道な人間を肯定しろとまでは言いません。ただどんな人間も断片的に捉えるのではなく、

暖かく受け止めてやる姿勢がその人のヒューマニティを知ることとなり、見え方・感じ方も変わる気がするのです。

つまり肯定的な文脈で捉えることです。

簡単に言えば「面白いじゃねーか!」といったスタンスですかね?

今の「えー!」「うそー!」「ほんとー!」は、正に肯定的な受け止め方ではないですよね。

最近のマスコミはいかに「えー!」「うそー!」「ほんとー!」を発生させるかの如く、

番組づくり、取材や論調になっている気がします。

このチープな送り手と受け手の関係は短絡すぎて、マスコミの凋落と消費者の単細胞化を加速する誤った関係だと思います。

「そうだったのか!」「そう考えなくちゃね!」「間違った判断だったな!」という

人が生む「業」に対して謙虚になることが大切だと思うのです。

企画のビジネスも時代がどんどん変化し、事業形態もタスク管理が中心となり、

本質よりリスク回避型のネガティブチェックが重視され、提案に対して否定的な視点が先に動く結果となり、

前述の「思い白いじゃねーか!」といった肯定的な受け止め方をする人が減ってきています。

企画とは「正解」を見つける仕事ではなく、「面白いじゃねーか!」と感じてもらうか?ではないでしょうか?

私が考えるマーケティングとは人間社会の中で発生している様々な「業」を出来る限り肯定的に受け止め、

その存在価値や影響力を鑑みることだと思います。

Kazuo Habuka

「私の企画の考え方やプレゼンの話術などには『落語』から影響を受けています・・・」その1

 先日NHK BS ハイビジョンで「立川談志10時間スペシャル」なる地上波では考えられない暴挙に出た番組があり、

留守録して観る(しっかり見る)ことになりました。といっても布団に横になりながらですが・・・

もともと私は「落語」「講談」「漫才」(コントは嫌いです)といった寄席芸能が大好きで、

幼少の時 、昨年亡くなった父の手に引かれて

「上野:鈴本演芸場」「新宿:末広亭」「浅草:演芸ホール」「池袋演芸場」などによく行ったものです。

最近取り壊しになった渋谷の東急会館で毎週やっていた「大正テレビ寄席」にも行ったなあ・・・。

かの有名なウクレレ漫談の牧伸二が司会してましたね。

※「あーあ♪ やんなちゃった・・・あーあ♪ おどろいた」で一世風靡した芸人。

父は大学で英語の教鞭を執る傍ら「落語研究会」の顧問を務めていましたので、我が家にも落語の関する本や資料がいっぱいあって、

私はことある毎に目を通していました。そのせいで落語の知識も本が書けるほどになりました

。父の好きな落語家の「噺」を結果的に多く聴くことになり、次第に私も好きになってしまった様な気がします。

しかし父と意見が食い違ったのがこの「立川談志」でした。

オーソドックスな古典落語が好きだった父は「立川談志」の語る「モダンな古典落語」はあまり好きではありませんでしたが、

私は談志の既成の枠に収まらないキャラクターが大好きでした。多分父は「生意気」に映ったのでしょう。

さて、この番組を観ていない方にどんな内容かをお伝えすると・・・

「立川談志」なる人物に様々な角度から迫る構成になっていました。

本人、友人、弟子などから「立川談志」を語り、「立川談志」十八番の落語も数席交え

落語の面白さや難しさを改めて知る・・・と言った構成です。

NHKの朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」の人気で、落語に対する関心も高まってきました。

これを機会に是非落語を聞いてみたらいかがですか?

Kazuo Habuka

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち仕事カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは喰い道楽です。

次のカテゴリは趣味の部屋です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。