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教室に行くとやはり話題は日本シリーズ第3戦であった。

それぞれが展望を語る。夢を語る。不安も除かす。創造力が凄かった時代。
私はゲルマニウム・ラジオの存在を隠そうと思っていたが、
隠せる代物ではなかった。
しゃべちゃった・・・と言うより自慢してしまった。
「スゲー!」
「不良!」「お前はそんなやつだったのか!」とか
いろいろ言われたが野球中継をみんなで共有しようと言うことになり、
僕が聞いた内容をメモで伝えることになった。
授業中に野球中継をラジオで聴くことは停学処分相当である。
(喫煙より悪質かも)
しかも、メモを試験中に他人に渡す行為などはカンニングと同じである。
ジェームズ・ハブカはその使命を密かに速やかに実行することが任務だった。

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↑耳文化隆盛の時代。みんなが欲しがった「SONYスカイセンサーICF-5500」
僕の青春の宝物です。1972年製。完動品です。


※教室でのやり取りを全てお伝えすると一冊の本になりますので割愛します。

四時限目が終わり、休み時間にはクラスの野球狂たち
シリーズの試合経過を知っていた。
巨人劣勢。山田久志の快刀乱麻。完封ペース。
諦めはしないが、かなり不利である事実は事実・・・
やがて五時限目最後の授業が始まった。
試験中はイニング毎にメモを渡していたが
回は8回を過ぎメモはバッター毎の結果や経過を伝達することになり、
私はさらに忙しくなった。

授業が終わり、最終回ジャイアンツ最後の攻撃へと移る。
もみくちゃにされながら野球小僧は校庭のど真ん中に移動。
その中央にジェームズ・ハブカが位置することになる。
既にアウトカウントはひとつ減っていた。つまりワン・アウト、ランナーなし。
「ハブカ!バッター柴田はどうだ?」
「今日の柴田はどんな調子か?」
「巨人は負けるのか?」
教室ではぶつけることが出来なかった「生の感情」がガンガン飛び交う。
(気持ちは良く分かっていた)

秘密兵器に変身させたので、回りが騒々しい中、
ラジオの音も小さいので聞き取れないのだ。
「みんな静かにしてくれ!!」
自体を察知したのか急に静かになり、
1球毎のレポートに耳を傾けるようになった。

無声映画の活弁士の語りに観客が呼応するかのように、
私の一言一言でみなが息を呑む感じだ。
「柴田フォアボール」(私)
「ワー!」(みんな)
「高田に代打、柳田」(私)
「柳田がゲッツーじゃなきゃ、長嶋に回るぞ!」(みんな)

私が大声でしゃべると聞こえないので、首を縦に振ることしかできない。

ここで皆様には今日の試合の背景と経過を簡単にお伝えします。

相手はパリーグの覇者「阪急ブレーブス」
現在のメチャクチャ弱い「オリックス・ブルーウエーブ」の前身です。
当時はメチャクチャ強いチーム。投手は若手からベテランまで粒ぞろい。
バッター(野手)も攻・走・守が卓越した
パリーグを代表する選手たちで構成されていた。
少年(私も含め)の目から見ても「巨人より圧倒的に上」と感じていた。
名将:西本幸雄率いる「阪急ブレーブス」は、
1967年から69年までのパリーグ3連覇。
1971年から1972年は2連覇した名門チームだ。

同時期を支えた名プレーヤーは数知れず。
ミスターブレーブス:長池徳二(第1次阪急黄金時代の最強の4番打者)
世界の盗塁王:福本豊(年間104個の盗塁は今だに破られていない)
通算350勝の人間機関車:米田哲也(歴代最長の19年連続2桁勝利)
先輩サブマリン:足立光宏(ドカベンの里中智のモデルとなったのは有名)

新サブマリン:山田久志(通算284勝MVP3年連続)
巧打者:加藤秀司(通算2055安打、巨人の小笠原の師匠にあたる)・・・
と実力者揃いだ。
嘗て阪急の攻撃を象徴するエピソードがあった。
「ノーアウトで福本を塁に出せば必ず点が入る。福本を出したら終わりだ。」
福本が出塁すると、3球目以内にはセカンドに行ってしまう。
次のバッターがバントをするか、
凡退してもしなくても福本は必ずサードまで行く。
そして、外野フライか内野ゴロで福本が生還するということだ。
つまり、足が速いだけでなく、そつがない(えげつない)野球をするのだ。

福本は「二盗より三盗のほうが簡単だった」と話している。
セカンドのほうが離塁がしやすいのだ。
年間で100を超える盗塁は、三盗が無ければ達成しない。
南海ホークス時代の野村(捕手)が、
その「福本封じ」で考案したのがクイックモーションだった。

今の時代のようにセパに関係なく、
チームや選手の情報が浸透している時代ではないので
パリーグ自体「野武士の集団」とか「玄人の集まり」と言った
神秘的且つ恐怖感を抱いていたのです。
土橋正幸、尾崎行雄、張本勲、大杉勝男、白仁天、毒島章一が所属していた
「東映フライヤーズ」は
時代劇や任侠映画をヒットさせていた映画会社がオーナーだったからか
映画の悪役スター集団(強面揃い)の危ない雰囲気が漂っていた。

一戦目は西宮球場で行われ「巨人2:阪急1」で堀内が完投する。
二戦目は同じく西宮球場で行われ、「巨人6:阪急8」で阪急が打撃戦を制す。
山田は6回4失点と不甲斐ない結果だったが、阪急打線が爆発し逆転勝利した。


そして一勝一敗で迎えた第三戦(後楽園球場)である。
阪急ブレーブスを率いる名将西本監督は周囲の予想を覆し
何と!中一日で二戦に打たれた山田を先発(連投)させる奇襲に出たのだ!
この奇襲に応えるように、山田は素晴らしいピッチングで、
巨人打線を零点に抑えて最終回を迎えるのである。

マウンドには全く球威の衰えを感じさせない山田久志が立っていた。

スコアは1対0の僅差で阪急がリード。
9回裏、ワン・アウト、一塁(柴田)。
バッターは代打柳田。
柳田はライトフライに打ち取られ、
やがてバッターボックスにあの長嶋を迎えるのである。
山田が押さえれば、成長著しい若手投手が巨人打線を完封することなり
対戦成績が2勝1負とシリーズの流れを一気に変えることになる。

「あっ、柳田ライトフライ」(私)
「ゲッツーじゃなくて良かったな」(みんな)
「・・・」(私)
「次は長嶋だ!」(みんな)
「・・・」(私)
「長嶋がホームランでサヨナラだ!」(みんな)
ここまでは脳天気だった。
「・・・」(私)
この日の長嶋は山田に合わず打てる気がしなかった。
今日の山田を長嶋が打てそうもない感覚を伝えることなど出来ない。
「・・・」(私)
私が黙っているのを察知し、状況が伝わった。
「・・・」(みんな)

長嶋、山田のカーブに泳がされボテボテのゴロ・・・
「あっ!・・・」「うっ・・・」(私)
「えっ、ゲームセット?」「どうした?ハブカー!」(みんな)
「・・・」首を横に振りながら「ボテボテのヒット」(私)
「ランナーは?どうなってるんだ?」(みんな)
私は既にもう声が出なくなっていた。
異様な興奮状態の中、ラジオから聞こえる小さな音を聞くために
全神経を集中しすぎてヘロヘロになっていた。
蚊の鳴くような声で吐き出すのが精一杯だった。
「ツーアウト、一三塁。バッターは王」(私)
「王は打つよね!」(みんな)
「王は凡退しないよね!」(みんな)
「王は三振しないよね!」(みんな)
「試合終わらないよね!」(みんな)
悲観的な気持ちを排除しようと必死だったが、誰もが弱気で悲壮感が漂っていた。
この時、王がホームランを打つことを予感、または期待した人はいなかった。
私も含め、一三塁にランナーが残っている状況でも、
ジャイアンツが劣勢なことは分かっていた。
それはラジオから伝わる
「山田久志という投手の素晴らしさ」を認めていたからだった。
試合はぎりぎりの状態だった。そうバネが縮んでエネルギーが溜まっている、
そんな感じ。

そしてみんな急に静かになった。
これから起きる全てをみんなが受け入れる体制は整った。

カウント、ワン・ストライク、ワン・ボールからの3球目のストレートを
王がライトスタンドに打ち込んだ。
奇跡の逆転サヨナラ・スリーラン・ホームランであった。

言葉が出なかった。
信じられないことがイヤホンの向こう側で起きていた。
腰が抜けていた。
私の目からは涙が止めどもなく出ていたそうだ。
「ハブカァー!どうしたんだ!」(みんな)
と思いっきり頭をこづかれた。
私は残った力で振り絞るように話した。
「ホ・オ・ム・ラ・ン・・・」
私を二重三重に囲んだ少年たちは、
皆真っ赤な顔して涙でぐしょぐしょになり
二の腕で迸る涙をぬぐっていた。
言葉はなかった。
言葉なんていらなかった。
一生忘れない出来事が起きた。


今度の日本シリーズに期待したい。
どっちが勝つかではない。
一生忘れない名勝負を僕と野球を愛する人々に記憶させて欲しい。
私にとって1971年以来、一生忘れない名勝負を聴いていない。


Kazuo Habuka

私の誕生日は10月20日である。皇后陛下さまも10月20日にお生まれになった。

10月頃が「スポーツの秋」と呼ばれる由縁は
1964年10月10日に東京オリンピックが開会されたことを記念して
その日を「体育の日」と称し、国民の休日となったからである。
祝日法で「体育の日」は「スポーツに親しみ、健康な心身を培う」ことを
謳っている。
ハッピーマンデー制度によって「10月10日=休日」にならないため
休日を制定した本質が風化されつつあるのは嫌であり寂しい気がする。

さて1971年10月15日(金)に時間を戻そう。
私にとって「1971年は実に素晴らしい年」だったのだ。
加藤和彦と北山修の「あの素晴しい愛をもう一度」がヒットした。
反戦から始まった日本のフォークに「愛」が加わった気がした。
ジョン・レノンの「イマジン」が流れ、ベトナム戦争の時代をリセットさせた。

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阿久悠と筒美京平が作り上げ尾崎紀世彦が熱唱した「また逢う日まで」が
空前の大ヒット。
あのアイドル発掘番組「スター誕生」が放送開始した。

1971年は日本の歌謡史に燦然と輝くヒット曲のオンパレードだった。

加藤和彦と北山修「あの素晴しい愛をもう一度」
尾崎紀世彦「また逢う日まで」
小柳ルミ子「わたしの城下町」
五木ひろし「よこはま・たそがれ」
加藤登紀子「知床旅情」
森進一「おふくろさん」
南沙織「17才」
欧陽菲菲「雨の御堂筋」
平山三紀「真夏の出来事」
はしだのりひことクライマックス「花嫁」
ジローズ「戦争を知らない子供たち」
上條恒彦と六文銭「出発の歌」
シモンズ「恋人もいないのに」
森田健作「さらば涙と言おう」
美川憲一「おんなの朝」
にしきのあきら「空に太陽がある限り」
北原ミレイ「ざんげの値打ちもない」など、嘘みたいに凄い凄すぎる!

洋楽も凄過ぎる!
ジョン・レノンの「イマジン」
ポール・マッカートニー「アナザー・デイ」
ジョージ・ハリスン「マイ・スウィート・ロード」
マーヴィン・ゲイ「What's Going On」
キャロル・キング「イッツ・トゥ・レイト」
カーペンターズ「スパースター」
アイク&ティナ・ターナー「プラウド・メアリー」
ローリング・ストーンズ「ブラウン・シュガー」
シカゴ「ビギニングス」
ジェイムス・テイラー「You've Got A Friend 」
ジョン・デンヴァー「故郷へかえりたい」
ビー・ジーズ「小さな恋のメロディ」
アンディ・ウィリアムス「ある愛の詩」
レッド・ツェッペリン「移民の歌」
ヘレン・レディ「 私はイエスがわからない」
アダモ「雪が降る」
シルヴィ・ヴァルタン「あなたのとりこ」などなど、馬鹿みたいに凄い!

1971年は'70年代のベスト・アルバムが作れるほど、
人々に記憶させた歴史的な名曲の宝庫なのだ。

プロ野球でも生涯破られない記録と記憶が作られた。
江夏豊が、プロ野球オールスターゲームで9連続奪三振の記録を樹立した。

私は武蔵野市の公立中学に通う2年生であった。
この日私は五時限まで試験(中間試験)と授業があった。
来年私立高校受験を目指している身としては、
良い成績を残さなければと勉強にも熱が入っていた。
ところが、日本シリーズである。巨人のV7が懸かっているシリーズである。
「巨人・大鵬・卵焼き」世代にとって、
この年に限らず「日本シリーズは別格の存在」だった。
相撲好きでもある私は、この年憧れの横綱「大鵬」が32回の優勝を果たし引退。
一時代の終焉に一抹の寂しさも漂っていただけに、
関心事は「野球」に絞られていた。

だからといって野球を学校で見るのは難しい。教室で見るなんて全く不可能であった。
道徳的にも道義的にも御法度だが、そもそも「観る手段」が無かった。
今ならワンセグケータイで観る環境はあるけどね・・・
この時代、一般家庭には「ビデオレコーダー」の類も無かった。
「カセットテープ・レコーダー」がやっと普及し始め
「エア・チェック」と言うムーブメントが生まれた頃の話し。
まだ、「記録したものに頼る」のではなく、
「自らが記憶することが全て」の時代だった。

この年の日本シリーズは私にとって特別な感覚を覚えていた。
「阪急は強い!」という評判だった。山田久志投手の存在。
生意気そうだが実力もある。
山田はプロ3年目で、22勝をあげる活躍をしていた。
同じチームの先輩、米田哲也がこの年19勝。二人でなんと41勝だった。
V7を目指すジャイアンツにとって「鬼門となるシリーズ」と呼ばれていた。
試験どころの話しではない。学校すら行きたくない。
仮病でもしたい心境だった。
世の中で今日学校を休んでいる生徒は全て仮病だ!と思った。
しかし、僕には出来ない。

私は深夜放送のファンだった。耳文化隆盛の時代。受験生が全て虜になった。
オールナイト・ニッポン、パック・イン・ミュージック、
セイ・ヤングなど夢中になった。
この年の夏休みに流行のラジオ(SONY ICF-1100)を買って貰い、
さらにリスナー魂に火か付いた。
だからといって、こんな目立つラジオを学校に持って行くことは出来ない。
どうしよう・・・
当時、世の中には「ゲルマニウムラジオ」(鉱石ラジオとも呼ばれる)という
シンプルなラジオがあった。
電池もボリュームもない。周波数を合わせるだけの質素な構造。
手のひらに隠れる大きさである。
「これだーっ!」

私のゲルマニウムラジオは小学校の時に駄菓子屋で買ったもので、
カタチがロケットに見立ててあり、
ロケットの先端のアンテナを伸び縮みさせる仕組みであった。

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このアンテナを微妙に引っ張ったり縮めたりして
チューニングする仕掛けだった。
音はロケットのボディからイヤホンが繋がれていてそこから聞くのである。
感度を上げるため鰐口クリップがついたアース線があり、
金属に接触させると受信感度が良くなった。
ゲルマニウムラジオは電池不要、
スイッチも無いので音が出っぱなしのラジオである。
しまっておくときはアンテナをたたみ、
引き出しの奥に入れるのが通常であった。
新しいラジオを手に入れた私は、
この日本シリーズを「盗み聴く」作戦がなかったら
机の奥にしまっていたゲルマニウムラジオの存在すら
忘れ去っていたかも知れない。
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↑先日、ヤフオクで落札した中国製の「ロケットラジオ」
構造・仕様は同じだが、かなり「ちゃちな造り」である。

さて学校にゲルマニウムラジオを持って行くことに決めたが
どうやって回りに気づかれないように「盗み聴く」かが重要だった。
そもそも試験である。学校である。ラジオを聴くのである。それも日本シリーズを。
前の晩にいろいろトライした。鏡に向かって不自然でないか試行錯誤を繰り返した。
その結果、学生服の内ポケットにゲルマニウムラジオを入れチューニングを固定し
左手の袖にイヤホンのケーブルを通して手首にイヤホンの本体が出る作戦だった。
つまり、手品である。イリュージョンである。
不必要なときや、発覚の恐れがあるときは左手を伸ばすことで
自然にイヤホンを隠すことが出来るのである。
まさにジェームズボンド並の秘密兵器だ。

但し問題があった。
以外とゲルマニウムラジオは音が大きいのである。
電車などでヘッドホンから音が漏れるような感じ。
深夜にこの施策に取り組んだこともあるが、
バッチリ回りに聞こえてしまうくらいの音量なのである。
繰り返すがゲルマニウムラジオにはボリュームがないのである。困った・・・
ゲルマニウムラジオを分解し音量を調節するのは至難の業である。
そこで、イヤホン単体を分解し、外に音が漏れない対策を施した。
脱脂綿を隅々に詰め込むことだった。
気合い入れて綿を詰め込みすぎて、
何も聞こえなくなったので調節し完成したのである。ジャン!

これは秘密だ。俺はジェームズ・ボンドだ。と自らを鼓舞して学校に向かった。

つづく(その2へ)
Kazuo Habuka

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