カメラバカ一代 第十一回〜第十五回の最近のブログ記事

第十五話(番外編) カメラバカ一代「My Collection:OLYMPUS OMシリーズ(レンズ前編)」
もっと被写体に近づきたいとか、もう少し周りの雰囲気を収めたいなど、
レンズの画角は必要に迫られる時が度々ある。
多くの場合、なるべく少ない交換レンズを旅先や現場に持ち運ぶこととなる。 
しかし、カメラ一台と交換レンズ5本となると、かなりの重量である。
つまり、撮影するには「お荷物」になるのだ。 筆者の場合、持ち出すのは多くて3本までだ。
撮影プランを浮かべながらレンズの選択を楽しむのだ。
幸いOMシリーズは、ボディもレンズも他社と比べてコンパクトなので「お荷物」にはならない。
昨今のデジタル一眼レフは、ズームレンズが主役だ。
広角ズーム、標準ズーム、望遠ズームとバリエーションが揃っている。
画角の領域(カバレッジ)も広いので、普通カメラに一本装着しておけば何も問題ない。
しかし、あえて私は否定する。
ズームは邪道だ。
レンズは「固定焦点」が基本だからだ。
覗いて画角に被写体が収まらなければ、被写体との距離を自ら動いて調整すればよい。
また、ファインダー枠で被写体を切り取ればよい。
と、前置きが長くなりましたが、
そんなカメラに対する「固定概念」によって揃えた
私の秘蔵する12本のOMシリーズのレンズをご紹介する。ズームレンズも一本ありますが・・・

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※OMシリーズのレンズは全部で約40種類近くあるが・・・その中には100万円くらいのもある。正に高額(光学)品。レンズ説明.jpg

表記のZUIKO AUTO-Tは望遠。ZUIKO AUTO-Sは標準。ZUIKO AUTO-Wは広角を表しています。
ZUIKOはオリンパスのレンズブランドです。

先ずは望遠レンズです。

ZUIKO AUTO-T 180mm F2.8
やや大型口径のレンズ。明るいレンズが売り。コントラストはそれほど強くない感じだ。
完成度は高いと思う。開放ではなくてF4くらい絞った方が締まる。国技館ではこのレンズ。

ZUIKO AUTO-ZOOM 35-80mm F2.8
邪道と言ってしまいましたが、このレンズは別格で秀逸。価格もバカ高かった。
ポートレイトからスポーツ観戦までカバーする画角は使いやすい。
明るくコントラストも良い。難はレンズが大きいことくらいかな。
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※夏真っ盛りの富士山の百合畑。ボケの感じもGOOD!使用フィルムKodak E100G ISO100 絞り:F5.6

VOIGTLADER APO-LANTHER 90mm F3.5
ドイツの名門フォクトレンダーのブランドでコシナが製造販売したレンズ。
NIKON、CANONなどのマウントでも販売された。
ブランドに恥じないように、剛性感のあるボディ、フードが作られている。
比較的かっちりした表現力だ。ボケもきれいだ。無難なレンズ。
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※5年前に入った沖縄の一コマ。発色・コントラスト共に最良です。使用フィルム:Kodak E100G ISO100 絞り:F11

続いては標準レンズ。私の大好きな50mmだ。

ZUIKO AUTO MACRO 50mm F2
オリンパスファンでもこのレンズには賛否が真っ二つ。
私は大好きだが、フード兼用の鏡筒の奥に収まった前玉が嫌われる要因みたいだ。
仕事で商品撮影の際使用したが、F2の明るさは説得力があった。
植物撮影では、やや立体感が乏しい感じ。

ZUIKO AUTO-S 50mm F1.4
カメラとセットされていたレンズである。決して悪いレンズではない。
コストパフォーマンスに優れたレンズで、オリンパスらしいレンズ。
正に「標準なレンズ」である。

ZUIKO AUTO-S 50mm F1.2
現在でも人気の銘玉。オリンパスOMシリーズの中で一番明るいレンズ。
このレンズは50mmだが、55mm F1.2と言う大口径のレンズもあった。
経年劣化でレンズが黄色くなってカメラ屋に引き取ってもらった。
さて、この50mm F1.2はクセモノである。扱い勝手が悪い。
今はデジタルだから確認が直ぐとれるが、
フィルムの場合、現像しないと結果が分からない。
ファインダーでは完璧と思われたショットだったが、何度も泣かされた。
開放で取るとピント幅が僅かで、プリントすると若干狂っている場合が多かった。
ハレーションしやすい。緩慢な表現になりやすい。
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しかし、露出もピントも決まった時は「ライカ」を超えるのだ。だから自慢のレンズ。
※使用フィルム:Kodak E100G ISO100 絞り:F2.8
注:ブログで掲載している写真の一部は、ポジまたはネガフィルムをデジタルスキャンしてますので多少の修正加工が施されています。

次回はOLYMPUS OMシリーズのレンズ後編をお楽しみに!





Kazuo Habuka

第十四話(番外編) カメラバカ一代「My Collection:OLYMPUS OMシリーズ」
今回は番外編と言うことで、筆者が所有しているカメラ「OLYMPUS OMシリーズ」をご紹介する。
本編で登場した「M-1」は水没して破棄したためご紹介できないのが残念ですが、
現役で活躍している4台の名機?をご披露します。

先ず最初は「OM-1」1973年5月発売のモデル。
前回お伝えしたようにモルトが腐食しプリズムや露出計まで被害が広がった。 
プリズムとボディの革を交換して生まれかわった。機械式シャッターの精度も健在。
現在のデジタル一眼レフのようなマッチョなサイズではなく コンパクトな大きさが今でも気に入っている。
W140×H80×D50はオリンパスの先端技術の賜である。
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トカゲ革の趣味には賛否があると思いますが、イメージを一新するため敢えてこの柄を選んだ。
装着しているレンズは銘玉 ZUIKO AUTO-MACRO 50mm F2。
この50mmマクロは、接近戦、植物(バラ、菖蒲、睡蓮など)の撮影で活躍した。
被写体まで20cmまで近づけることが出来る。通常のスナップでも素晴らしい表現力がある。
ピントが決まった時の切れ味は他のレンズを凌駕する凄さがある! 

次にご紹介するのが「OM-2N」1973年5月発売のモデル。
世界初「TTLダイレクト測光方式」搭載した「OM-2」の後継機。ストロボ撮影をさらに強化したモデルとなった。
昔はストロボ撮影の開発にどのメーカーも執着心があったね。モータードライブを装着した雄姿。
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軽快に巻き上げる「音」が心地よい。 すっと欲しかったOMのブラックモデルだった。カメラの精悍さが伝わる。
装着しているレンズは銘玉 ZUIKO AUTO-S 50mm F1.2。
この50mm F1.2は、カメラマンの挑戦意欲をかき立てる表現力ある高価なレンズ。
開放で撮影するには、技術や経験が必要なレンズだ。ハレーションして、ややぼんやりし易い癖がある。

次にご紹介するのが「OM-4Ti Black」1989年4月発売のモデル。
高性度のマルチスポット測光採用。世界初の1/2000まで同調するフルシンクロフラッシュシステム。
シャッターも機械式からオール電化された。所謂ピント以外はフルオートになった。
電池の消耗さえ気を配れば、使いやすさはOMシリーズで一番だろう。
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装着しているのはZUIKO SHIFT 35mm F2.8。
SHIFTレンズは、建物や人物を下から仰ぐように撮影すると生じる「先細り」を補正するレンズ。
シフト方向は上下左右に補正が効くので、演出としても面白い撮影が出来る。
OMのシフトレンズは、他に24mm F3.5のバージョンもある。
このレンズはフィルターが内蔵してあるやや大きめの珍しいモデルだった。
フィルターにゴミが入り、清掃するのにお金がかかるのでやむを得ず売った。
実は高価な割りに描写も単調で使いづらいレンズだった。

最期にご紹介するのが家宝「OM-3Ti」。
1994年11月に、オリンパス創立75周年を記念して発売されたOMシリーズのフラッグシップモデル。
現在でも中古市場では状態が良ければ20万以上で取り引きされる名機。
私が所有するカメラの中で、絶対に手放さないと決めているカメラの一つ。
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この「OM-3Ti」を契機にオリンパスは、機械式一眼レフカメラの開発を終了(撤退)する。
私やカメラマニアにとって、「OM-3Ti」がOMシリーズの実質最期のカメラと思っている。
シャッターは機械式でマニュアル露出専用機にも関わらずTTLダイレクト側光機構を内臓。
「OM-4」のオール電化とは異なり、機械式だから電池がなくても全てのシャッターが切れるのだ。
装着しているのは銘玉 ZUIKO AUTO-ZOOM 35-80mm F2.8。当時かなり高いレンズだった。
やや大きめのサイズだったが、日常で使いやすい画角とズーム比。明るいレンズが特長である。
ポートレートなどで、背景のボケがとにかく美しかった。自慢のレンズ。花形フードが新しい。

次回はOLYMPUS OMシリーズの今回取り上げなかったレンズをご紹介します。お楽しみに。
第十三話 カメラバカ一代「カメラへの熱意後退が生んだ大きな代償」

原因はモルトの腐食だった。ウヰスキーのモルト(麦芽)とは関係ありません。

「知らなかったことにしよう!」から、あっという間に4年過ぎた。

「忘れてた!OM-1はどうなっただろう?」と言うことで恐る恐るトップカバーを分解すると、

ゲロゲロに腐食したモルトがファインダー周辺を覆っていた。あちゃーっ。

カメラには、外部からの光を遮断するモルトプレーンと呼ばれる

分かりやすく言えば「スポンジ」のような素材で隙間埋めに使われている。

モルトは蓋などの隙間や一眼レフのミラーのダンパー(衝撃吸収剤)にも使われている。

私のOM-1のファインダーの汚れの正体は、このモルトが腐食して高価なプリズムまで侵していた。

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※○印が腐食して銀メッキが剥がれた部分。

プリズムは銀メッキ処理されていますが、腐食のお陰で銀メッキが浮き上がっていた。

さらに露出計の電機部品まで達していて、もはや部品交換以外は考えられなかった。

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※プリズムの○印に少し傷のように見えるのが剥がれた部分。

あの時素直に交換に出していれば・・・完全に「あとの祭り」だった。

交換用のプリズムや新しいモルトを入手し、自分で分解修理することになった。

腐食したモルトは気持ち悪いー!アメーバーのような感じだ。

キレイに掃除してプリズムを装着して無事終了しました。露出計は直さなかった。

カメラのボディの革(ビニール製)も痛んでいたので交換した。トカゲ革調の淡いカラーでイメチェンさせた。

自らの手で蘇ったOLYMPUS OM-1は今でも大切に扱っています。現役です。

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※接近戦には欠かせない銘玉「ZUIKO AUTO-MACRO 50mm 1:2」を装着した愛機OM-1。美しいデザインだ。

今でも50mmレンズが好きだ。広角全盛の時代だが、画面を切り取るようなフレーミングが自分に合っている。

これをきっかけにメンテナンスの重要性を痛いほど知り、

定期的にメンテナンスやオーバーホールをやるようになった。


不定期に続く・・・



Kazuo Habuka

第十二話 カメラバカ一代「カメラへの熱意後退と愛機「OM-1」の異変。」 

  大学3年の時に始めた会社が忙しくなり、カメラどころの騒ぎではなくなった。

その会社は制作した自主映画がきっかけで、

映画の制作・企画・プロモーションの仕事を手伝っていた。

私にとって、現在まで30年以上携わるマーケティング・ビジネスに

多大なる影響を与えた最初の師匠の出会いもこの頃だった。
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※八丁堀「南高橋」は震災で損害を受けた隅田川の「両国橋」の一部を移築して作られた。


当時コピー(複写)は高価で、特別な理由がない限りなかなか出来なかった。

勉強するため、時々その師匠の企画書をお借りした。

読むだけではなかった。徹夜で全て書き写した。半端な枚数ではなかった。

毎日会議に出ては議事録を書かされ、終わると師匠の企画書のリライトをやった。

気がついたら右手の中指に「ペンだこ」が出来ていた。

その後「ペンだこ」対策で「ぺんてるのサインペン」を活用することになる。

鉛筆より筆圧がかからない。インクなので書き間違えない正確さが自然と身についた。

太さも3種類使い分けた。パソコンのフォントで言う「極太G」「中太G」「細G」のようなものだ。

必要な資料は国会図書館に度々足を運んでは片っ端から書き写した。

コピーした写真や資料はハサミやカッターで丁寧切って企画書に貼り付けた。

サイズが合わなくて結局使えない資料もたくさんあった。

これらの苦労で字が上手くなり、辞書を引くスピードが速くなり、デザインやレイアウトも様になった。


この下積み時代があったからこそ、とても小さかったも知れないが

「肥えた畑」を手に入れることができたのだと思う。


今だったら(オヤジ臭い言い方が・・・)、

パソコンで簡単に見た目にはキレイな書類や企画書が作れるし、辞書・事典を片手に作業する必要もない。

資料もインターネットで直ぐに検索できるし、写真だって自由に選べるし貼り付けられる。

しかもカラー、動画だってある。今や普通になったが進歩したな・・・

一見便利に見えるが、

こうした技術革新によって、本来経験すべき基礎的な苦労体験がないことが、

近い将来待ち構えている「大きな難局」に苦労させられる結果となる。事実だ。

字が下手だ、企画に内容がない、資料が一般的すぎる、どのプランも同じように見える・・・等々

私は今でも辞書を片手に企画書を作成することが多い。

提出ぎりぎりまで手書きで構想を練る。これがないとリズムが出ない。

必要な写真はカメラ片手にロケハンに行って撮影する。

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※草津温泉「湯畑」にて筆者

時代を元に戻そう。

あるキャンペーンの仕事で、大学の文化祭の資料を作るためにカメラ片手に東大の五月祭に行った。

と、その時だった。愛機「OM-1」のファインダーに異変を気付いたのは・・・

プリズムにカビ?のような異物が付着しているではないか!

1年以上ご無沙汰していたのは確かだった。

幸い露出計は動いていたが、このカビの存在は許容範囲ではなかった。

気になる!あーっ気になる!どうしよう!

カメラ屋に持って行ったら、分解、オーバーホール、プリズム交換で3万円位すると言われた。

ガーン!

この時期の私にとって3万円はバカ高かった。

会社を始めてまだ半年ぐらいで利益も出ず、私費を投じて数人のアルバイト代を支払っていた頃。

「知らなかった事にしよう・・・」

この日から「ローライ35TE」がメインカメラとなった。傷モノの女を捨てる無情なプレイボーイみたいだ。

この「知らなかった事にしよう」が後々の悲劇を大きくするとはその時全く思わなかった・・・

不定期に続く・・・



Kazuo Habuka

第十一話 「カメラバカ一代が深みにはまっていく外国製カメラとの出会い。」

しばらくポッカリ空いてしまいましたが、「カメラバカ一代」の再開です。

大学に入ってから映画作りに没頭していたが、カメラへの熱が冷めていたわけではない。

OLYMPUS OM-1でかなり満足していた。

バイトで金が入ればレンズ購入し、既に8本くらい持っていた。※現在12本所有

モノクロ・フィルムであれば現像からプリントまで完璧に出来る領域まで達していたのだ。


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※隅田川「勝ち鬨橋」(築地と月島をつなぐ)国の重要文化財(建造物)に指定された。1970年を最後に橋の跳開はされていない。

母の実兄は、戦後しばらくカメラ店を経営していた。

私がカメラに夢中であることを知って、物置から中古の引き延ばし機を引っ張り出して譲ってくれた。

型番は忘れたが、LUCKY社製の引き延ばし機だった。

全体的にはかなり錆びていて使い込んだ感じだった。

レンズは高価なものがセットされていたと記憶している。

実際、趣味ではなく商売で活躍していた引き延ばし機だったから言うまでもないが・・・

私は中学生の時写真部に在籍していたので、知識も技術もまったく問題はなかったが、

自宅で写真屋まがいのプリントをするのは別問題だった。

水回りの問題や、現像液、停止液や定着液の臭いなど、

自宅の部屋で行うにはそれなりの覚悟と両親の説得が必要だった。

遮光するのも大変で、夜間でも光が結構入ってくるので苦労した。

初めて自宅でプリントした作品?は製作中の自主映画の記録写真だった。

「趣味は直ぐに青天井になる」という言葉は事実だった。

大学4年の時に、初めて購入した外国製カメラが「ローライ35TE」だった。

本当は「ライカ」を買いたかったが、とても高くて手に入らなかった。

「ローライ」は「ライカ」と双璧のドイツのカメラメーカーである。

「ローライ」は二眼レフカメラのパイオニア的存在。

二眼レフとは上からファインダーを覗くカメラである。

対して「ライカ」は高精度のレンジファインダー(二重像合致式)カメラのパイオニアである。

「ローライ35TE」にはテッサーと呼ばれる40mm F3.5の銘レンズを搭載していた。

ローライ35シリーズは歴史的にも絶賛されたコンパクトカメラである。

同モデルでゾナーHTF40mm F2.8と呼ばれる明るいレンズを搭載した

「ローライ35SE」という若干割高のモデルもあったが、

予算の関係で「ローライ35TE」に決めた。

ピントは目測。露出計が組み込まれていた。

ユニークで独創的、しかも可愛いらしいデザインで今でも人気がある。

銀座の三共カメラで9万円位で買ったと記憶している。

ブラックモデルでコンディションも極上、自慢の一品だった。

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※レンズが収納された状態
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※レンズが引き出された状態
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※この大きさで35mmフルサイズが撮影できる

ピントが決まったときの密度の濃いシャープさやコントラストの美しさは

自慢のOM-1とは全く別の雰囲気があり、実際にプリントして見たときはちょっと悔しかったな。

「ローライ35TE」は海外旅行に持って行っても注目された。

「いつかはライカを・・・」という情念が、私の物欲の中心に誕生した瞬間でもあった。

ローライは現在でもたまに持ち出して世間の空気にさらしている。現役バリバリである。


不定期に続く・・・

Kazuo Habuka

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