2011年2月アーカイブ

第十八話 カメラバカ一代「デジタル革命に屈するか、対抗するか?悩みは膨らんだ」その2

私は高校性の時からバイトや働いたお金でこつこつオーディオを買い、
段階的にグレードアップさせてきた一人であり、
多くの若者がオーディオに夢中だった時代である。

今の世代には不思議と思われるかも知れないが、
レコード再生は、今のCD再生のようにボタン一つのようには行かなかった。
勿論、安価な簡易型のレコードプレーヤーはたくさんあったが、
それはオーディオという範疇の産物では全くない。
レコードを満足して再生するのには、いろいろ手間がかかった。
つまりお金も知識もある程度必要だった。
 
レコード盤に刻まれた原音を以下に引き出すか?が大きな課題であった。
レコードとはアクリル盤にダイアモンドの針で音源を刻む=記録して原盤が誕生する。
それが金型になり、レコード盤として拡大生産される仕組みである。
アクリル盤を刻む=カッティングする機械の殆どが
ドイツのノイマン社のカッティング・マシンだった。
当時殆どのレコードはこのマシンで作られたと言っても過言ではない。

 neumann_lathe-1.jpg
neumanndi0.jpg
※上がNUEMANN SX-68、下がカッティングヘッド(針)
 
1つの溝にはステレオで音が刻まれる。
 一時期、4チャンネル方式というのもあって、
その場合には何と!1つの溝に4つの信号が刻まれたのだ。凄いね! 
その刻まれた溝に、カッティング・マシンの針の形状(円錐)に近づけた針が 
レコード盤の上に乗せられ再生するわけだ。 

これが「原音を拾う=ピックアップ」と呼ばれる語源である。
この刻んだ音を針で拾うやり方は、エジソンの蝋管蓄音機の原理と同じである。 
音が刻まれた時の状態に近づき、
原音を完璧にピックアップしたいと言うのが、オーディオマニアの願いなのだ。 

スピーカーも高額。ペアで1,000,000円オーバーが高級と呼ばれるランクだった。 
アンプも高額。マッキントッシュというブランドがあった。Appleとは関係ない。
音量や音色を調整するアンプが「プリアンプ」、
音を増幅させる(大きくする)アンプを「パワーアンプ」と呼び
二つを合計すると軽く1,000,000円近くの製品が夢だった。
普通はプリメインアンプという合体のアンプが多かった。
さらに、チューナーがついたレシーバーに人気があった。
値段も手頃で使いやすかった。

アナログ盤プレーヤーも トーンアームという
アナログ盤をトレースさせるS字型の装置も高額。

IMG_0278 のコピー.JPG

そのアームの先に取り付ける針(カートリッジ)も高額だった。 

つまり、たった30年くらい前までは、
今の時代では想像もつかないめんどくさい所作が必要だった。
このめんどくささがマニアの心をくすぐったのは事実。 
当時の女の子にはこの辺の知識があまりなかったから、
男の子は得意そうにこのウンチクを並べたモノだ。

がしかし、CDの登場でこの拘りは過去の産物となる。
レコード再生技術は当時かなり高いレベルに達していた。
原音再生といったオーディオのGOALにあともう少しで到達する寸前でもあった。

一見簡単に思えることを徹底して極める文化があった。
マニアという言葉では片付けられない、誰もが憧れていた世界があった。
部屋で空気を揺らして聴くのが音楽と思ってきた。
レコードを集めて嵩張るのが実は嬉しかった。
CDが導入されて約3年余りで時代はCDへと、いとも簡単に移り変わった。

レコード文化は終わった。
と言うより、ここから「音楽」が「情報」に変わっていく。

不定期に続く・・・

Kazuo Habuka

大阪場所が中止どころの騒ぎではない。存続の危機だ。

今回の事件によって、今までの「トカゲのしっぽ切り」ではなく
「相撲協会さらには相撲自体の解体」に発展するだろう。
当然今までの公益法人から除外される可能性も高い。

数々の不祥事が起きたにも関わらず、
徹底的且つ抜本的な反省がなく、責任者の更迭や力士の引退勧告、
除名処分などで済ませてきたツケが回ってきたことは明確だ
プロ野球も嘗て「黒い霧事件」という八百長問題があった。
相撲協会も社団法人日本野球機構のような
「コミッショナー組織」に変革していく道しかないかもね。

野球は相撲と同様に「国技」と呼ばれているが、公益法人ではない。
部屋も大小多すぎる、合計約720人のプロの力士の内、
一握りの力士しか生計が立たない。
厳しい世界だからとみんな思っていた。
だから黙認もあった。治外法権と思っていた。

これらの事件や騒動で、黙認はおろか、
外部からの観察や監視の目が厳しくなるのは当然だ。
組織改革には、現在の世話人が適当かは多いに疑問。
何も変えられなかった訳だから解散だろう。

旧態依然の「興業としての相撲」か?
プロ格闘技の「アスリートとしての相撲」か?
判断が迫られる時期に来たね。

伝統を守るなら「興業としての相撲」を理解していただき、
時代性に即応して出直すしかない。
この勢いだと地方巡業相撲もガチンコで取らなくてはいけなくなる。
大変だね。

最期に一言。
本当に頑張って死にものぐるいで精進している力士が殆どである。
彼らには非はない。私は応援し続ける。

Kazuo Habuka

悲しい。悲しすぎる。大好きな相撲を奪わないで欲しい。

もう一つ川柳を

「八百長を 親方たちは 知っていた」

土俵下の審判員(親方連中)も同罪ということ。
もっと言えば自分も昔、
手加減相撲に加担した経験があるからだ。

もし、不信に思い、親方が力士を呼び出しても
「もっと上手に出来んかい!」と叱咤したに違いない。

一連の相撲不祥事で感じることは
プロと言っても
全力士約720人の内、一割の関取しか給金がもらえないことや、
力士の所属する部屋だって同じで
関取を育てなければそれ相当の経営難に陥る。

今回の八百長疑惑だって
力士同志の共存共栄の方策であることは分かる。

最近の大関「魁皇」の相撲に至っても、
明らかに「???」が付く相撲が多かったのも事実だ。
長年相撲を応援してきた人なら直ぐに判る。

阿吽の呼吸で
手加減する相撲を当事者でない我々は非難はできない。
しかし、共存共栄の為の手加減相撲を
メールで事前打ち合わせしたら、やはり八百長になる。

元来まつりごと(政)としての勧進相撲が
「興行」として発展したのが相撲。
近年スポーツ、真剣勝負と言う判断基準で見られようになってきた。

相撲改革は一長一短では難しい。
ご意見あれば是非・・・

Kazuo Habuka

第十七話 カメラバカ一代「デジタル革命に屈するか、対抗するか?悩みは膨らんだ」その1

お詫び:すっかり間を空けてしまいました。途中で終わることはありませんので・・・ 

時は'80年代、デジタルの勢いは先ず音楽からでした。

そうです。CD(コンパクト・ディスク)の登場(1982年)です。
CDフォーマットのロイヤリティ(権利)をフィリップス社が主張しない代わりに
フォーマットを全世界統一させることで各社ハードもソフトも生産されたのが大きかった。
実は、カセットテープもビデオテープもフォーマットが複数存在したことがあった。
そのため再生機が限定されてしまう状況に陥った。
皆さんご存じのビデオの「ベータ方式」「VHS方式」は記憶に新しい。

私は、中学生からレコード(以降アナログ盤と表記)を買い集め、
知らないうちに500枚近く収集していました。 
その中には'70年代の名盤中の名盤も数多く含まれる。

洋楽では
ボブ・ディラン:The Freewheelin' Bob Dylan
マービン・ゲイ:What's Going On
イーグルス:Hotel California
ドゥービーブラザース:The Captain and Me
スティーリーダン:Do It Again
レッドツェッペリン:Led Zeppelin I
ダイアナ・ロス:Ain't No Mountain High Enough
エルトン・ジョン:『僕の歌は君の歌』
ジョン・レノン:Imagine   など 

国内では
はっぴいえんど:風街ろまん
井上陽水:氷の世界
吉田拓郎:元気です。
荒井由美:ひこうき雲
尾崎亜美:瞑想
RCサクセッション:楽しい夕に
憂歌団:「憂歌団」
カルメン・マキ&OZ:カルメン・マキ&OZ
サディスティック・ミカ・バンド:黒船   など

ざーっと挙げましたが凄い時代ですね。私は聴いていただけだけど・・・ 

私達の世代は、俗に言う「ウォークマン世代」(1979年)です。
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※記念すべき「初代ウォークマン」
 今のデジタルオーディオプレーヤと比べると弁当箱位のサイズだった。

私は発売当時アルバイトでウォークマンを持って都内の地下鉄を乗りまくるPRを手伝った一人。
記憶では地下鉄のウォークマンのポスターの前で立つことなども指示されたな。
ウォークマンの音源は勿論アナログ盤からコピーしたお気に入りの曲だった。
最初に聴いた曲はキム・カーンズのBette Davis Eyesだったのを鮮明に覚えている。
ヤマハスクーターのCM曲だったと思う。

今では普通だが、「音楽を街に持ちだそう!」は画期的だったのだ。
それまでは、好きなレコードは擦り切れるくらい聴いてしまうは
当たり前だった時代。
カセットテープは勿論あったが、自宅で聴くのはやはりレコード。
カセットはFM番組を録音するのが中心だった。
ウォークマンの登場で、レコードが擦り切れることはなくなり、
同時にレンタルレコード店が全国に登場するコピー文化が発展することになる。
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※1980年に始まり1986年までがレコードが主流のレンタル市場。それ以降がCDレンタル。
 いかにCDの普及がレンタル市場を大きくしたかが分かる。

「YOU&I」とか「黎光堂」とかありましたね。「YOU&I」はピザ屋もやっていたな。 

1979年は大学3年生でした。
自分の会社を立ち上げ、狂ったように仕事をしていた時。
移動時にヘッドホンから流れる曲にどれだけ癒され、
元気をもらい、救われたか・・・ 
それから4年後「CDプレーヤー」が発表され、
世の中はあっという間にCDを受け入れた。
えっ!ノイズがなく奇麗な音質で誰もが楽しめるって、
CDって何者だ? と言うのが本音だった。
アナログ盤に命を捧げていた身としては・・・

不定期に続く・・・
 次回は「デジタル革命に屈するか、対抗するか?悩みは膨らんだ」その2
 です。お楽しみに!

Kazuo Habuka

イベントプロデューサー養成コース科の講師を始めて前半戦を終了しました。

「イベントプロデューサー養成コース科」は、
厚生労働省所轄の緊急人材育成事業では初めての
マスコミ志願者対象の講座です。
私は「広告概論」と「マーケティング」及び「プロモーション」の担当です。

実際、イベントビジネスで活躍している人でも、
広告やマーケティングを学んできたか?と言えば「NO」と言う人も
多いいと思います。
しかし、これからイベントを制作する仕事に挑戦するのであれば、
基本を学び、それを応用に活かしていくことが重要と考えました。

1月18日から12:40〜15:30までの3時限を10日間勤め、前半を終了しました。
1限50分の授業ですが一日3時限の講義は結構大変でした。
父は教師だったので、良く40年間先生を務められたなと改めて感心しました。
生徒さんの年齢層も様々です。当然リストラされた人も多いです。
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※イベントプロデューサー養成コース科の「初日のガイダンス」 挨拶をするのは
(株)ジェット企画の尾薗社長。
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※熱血指導する小生。「授業風景」座学は生徒との距離が近くて良いね。 
(プライバシー保護の為一部画像を処理しています)

最初は講義が始まったら寝ちゃうんじゃないか?とか
イベントを習いに来たんだから広告なんていらない!と言った
自分が受け入れられない状況を何度か想像していました。
ところが、初日に生徒さんとお会いしたらみなさん明るく元気だったので
逆に「勇気」や「意欲」をかき立てられました。

私は広告代理店に勤務しているとき、新入社員教育やお得意の幹部研修などで
「広告概論」「マーケティング論」「プランニング実践論」を
数多く手掛けてきましたが、
今回は、後半も含めて合計80時間に亘る講義なので
自身にとっても初めての体験です。
そのお陰でもう一度基本に戻り勉強して臨むことができました。
「教えることで、学びは必ず自分(我)に返ってくる」
という言葉がありますが、
正に今の心境はその通りです。やってて良かったと言うのが率直な感想です。
2月17日からは一日5時限「地獄の10日間」が始まります。
予定ではこちらからテーマ(課題)を提供し(オリエン)、
3グループに分けた生徒さんからプレゼンしてもらうことになっています。
どんな提案をするのか?楽しみでです。
何をテーマにするか只今検討中です。またご報告します!

Kazuo Habuka

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