2010年6月アーカイブ

同じ悔し涙でも透明感が違っていた。ベスト8進出を逃した侍ブルーには未来の輝きがあった。

今まで意地でも土俵を他人に手放すことが無かった大相撲も

相撲協会理事会の外部役員である元東京高検検事長の村山弘義理事が日本相撲協会理事長代理に就くことが決まった。

元警視総監の吉野準監事とともに「朝青龍」の引退勧告を支えた人物だ。

とうとう法の番人に土俵を渡すことになってしまった。

これによって財団法人解体に拍車がかかる可能性がある。

パラグアイ戦が終わった後インタビューで本田選手はこう語った。

「応援してくれた人と、批判してくれた人にも感謝したい。批判がなければ、ここまで来られたか分からない」

彼の言葉に日本のサッカーの輝く未来があるのだ。

度重なるごたごたで相撲から離れていった人々の気持ちに立ち返って

謙虚なキモチで相撲再生・再建をスタートして欲しい。

そのためには、内部から若くて実行力のある理事が出てくるしかない。

貴乃花?彼には大相撲を牽引していく資格なんて無いと思う。

先週、大相撲が危機に瀕しているというのに、バラエティ番組に夫婦で暢気に出演しているのだから・・・

本当にがっかりした。呆れてしまって言葉が出ない。

若手の親方や一部のマスコミは、いまだに「貴乃花人気」にあやかろうとしている不甲斐なさだ。

私は玉ノ井親方:元大関「栃東」、小野川:元幕内「北桜」らが中心となって

閉鎖的な相撲協会を「スポーツアスリートビジネス」として磨き上げると同時に

顧客サービス目線で「スポーツエンターテーメント」を開拓して欲しい。彼らなら出来る!

Kazuo Habuka

10月2日「千代大海」、10月3日「朝青龍」と二日続けての引退相撲(断髪式)が行われる。

断髪してキレイさっぱりできる環境が10月には整っているのか?問題山積みの大相撲である。

過去に遡って二人の引退した力士の「過ち」に触れることはしてほしくない。

もう引退したのだから、酌量して欲しいね。

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「千代大海」は「佐ノ山」を襲名し後進の指導に当たる親方になった。

「朝青龍」は大相撲からは距離を置く新しい人生を歩んでいる。

フランス人監督による映画で「チンギスハン」役で出演する。日本公開は未定とのこと。

宣伝用のビデオをネットで見たが、依然輝き続けているオーラを放ち、なかなか決まっていた。

今回の賭博騒動で今後「引退〜断髪組」が何人出るのか?心配である。

相撲協会の役員の総入れ替えは必至だ。貴乃花が頑張るのかな?

先輩からの賭博話を払拭するかのように、毎日精進している若い力士たちが一番の犠牲者だ。

 

・ 私の見解としては、今回名古屋場所は見送った方が良いと思う。

その理由はとして

1)真面目な力士たちが可哀相だから

 ・お客も入らないだろうし、何か後ろめたさみたいなモノをしょって土俵には上がれない。

  残った力士だけでも・・・という説もあるが、見送る悔しさをバネにした方が良い。

2)全容解明にはまだまだ時間がかかるから

 ・場所中にまた何か発覚(申告してない力士や親方が判明など)したら、それこそ致命的になる。

  マスコミは開催したら必ず攻撃するに決まっている。応援するマスコミなど無いと思った方が良い。

3)NHKは放送したら受信料を払わない人が増えるから

 ・現在でもNHKにはクレームが多いそうだ。受信料を払いたくない人たちは必ず口実にするに違いない。

  BSだけでも・・・という話しもあるが、無理しない方が良い。餌食になるだけだ。

朝青龍は仮病して巡業を休んだ理由で半年乾され、邪魔だから横綱をクビにしたのを思い出して欲しい。

現在相撲協会には「反省」と「再発防止」に向けた強い姿勢は見えない。正に「ゆるふん」である。

大相撲がこれで「終わり名古屋」にならないことを望む。

Kazuo Habuka

今回の賭博騒動に暴力団が関与していたなら、最近の朝青龍の暴行事件より社会的責任は大きい。

突発的な暴力事件とは異なり、賭博には常習性があることだ。今回は、賭博に関わった人数が多すぎる。

一番の問題点は「谷町」自体にどのくらい暴力団が関与しているかである。

関与していても表向きには一般社会に影響を与えない存在であれば、これほど大きくはならなかったはずだ。

「谷町」の存在は否定しない。谷町がなければ大相撲も歌舞伎も落語も存在不可能だ。

それはどんな時でも「贔屓」の立場で支援する構造が「継続するため」には必要だからだ。

「贔屓」(パトロンとも言う)は日本の文化らしい「あいまいな存在」である。

これを法的にはどうか?とか社会通念上どうか?とか論じる人もいる。

谷町の行為は「贈与」になるから贈与税を課するべきだとも指摘もある。理論的には正しいが、実践的ではない。

ご祝儀に課税するようになったら、あげる方ももらう方もデリケートになってしまう。

「おおらかさ」の中に、谷町も贔屓もご祝儀も含まれていると思う。

厳しく取り締まることで、伝統文化本来のおおらかさが失われ、

合法的で健全な社会を目指すようになったら、日本の伝統的な文化は色褪せないのだろうか?心配である。

責任者はだれか?誰が一番悪いのか?という論議では解決しない。

相撲の「贔屓」として一言いいたい。

相撲はスポーツである前に、伝統文化である。伝統文化をいかにモダンに進化させるか?が難しいのだ。

相撲を否定する人が多いが、ラジオ放送開始に合わせて、仕切りに「時間制限」を設けた。

テレビ中継では見えにくい理由で「土俵の四本柱」を撤去した。「ビデオ判定」をいち早く導入した。など

伝統的なわりに時代性を重んじた進化に努力してきたのも相撲である。

厳しい状況ではあるが、相撲の発展のために待ったなしで取り組んで欲しい。

まだ大相撲は「のこった!」と思いたい。

Kazuo Habuka

身内の賭け事が「あからさま」になったら、もう行くところまで行くしかないね。

「盛り上がっているサッカー」VS「不要論まで飛び出す大相撲」の構図になった。

「内紛」があるとスポーツはモチベーションが低下する。

ワールドカップ出場国でも「内紛」があるチームは力を発揮できていないようだ。

日本が勝った「カメルーン」や「ポルトガル」「南アフリカ」「フランス」などにもそんな噂が拡がる。

興業で収入を得てきた大相撲は様々な「しがらみ」がや「人間関係」が古くから存在する。

それは大相撲を取り巻く「既得権益」が色濃く影響しているのは事実だ。

今回の「賭け事」も断り切れない「事情」もあるだろうが、

当然のように賭博行為を行ってきた「悪しき習慣」が蔓延していることが一番問題なのだろう。

「賭け相撲」をやっていた訳ではないと信じる。力士たちの「賭け事」好きな体質が良くない。

言わば「黙認」してきた環境を変えるしかない。

相撲協会は「膿を出す」と言っていたが、自ら吐露しない力士や関係者もまだいるだろう。

今回の問題で「名古屋場所」は行われない気がする。

中継のNHKも複雑だろう。放映したら投書や抗議の電話が鳴り止まないはずだ。

ワールドカップが終わる頃までに力士たちのモチベーションを取り戻さないと相撲にならないのは明らか。

少なくとも相撲ファンを納得させる「改革案」を提示して欲しい。

相撲ファンは怒っているのではなく、度重なる失態に呆れているのだ。

がんばれ!大相撲!がんばれ!真面目な力士たち!

Kazuo Habuka

私が高校生の時、先輩の政治集会に度々参加していた。

私がちょっとだけ「政治家」を夢見ていた時代だった。

高校2年生まで住んでいた武蔵野市は当時社会党(反自民)の地盤で、

「後藤喜八郎」と言う日本を代表する名物市長がいた。(現在私は西荻窪に住んでいます)

4期16年務めた後藤市長の政策は後に「武蔵野方式」として呼ばれる「コミュニティ構想」を実現したことでも有名。

実際、武蔵野市の中心である「吉祥寺」は18年連続で「住みたい街」のトップに君臨する。

今回、新しく総理大臣となった「菅直人」衆議院議員は

衆議院東京都第18区:武蔵野市、府中市、小金井市の小選挙区選出の議員である。

この地区は嘗て三鷹市も含まれていた。つまり、私にとっては菅さんは、地元の代議士になるのだ。

菅さんは議員になる前の1975年ころから武蔵野市や三鷹市を中心に

女性議員の草分け的存在の「市川房枝」さんの選挙参謀として運動を支援していたのは有名である。

市川房枝さんは日本の「婦人参政権運動」や「選挙浄化運動」に中心的な存在で尽力した

正真正銘の「リーダー」であった。

市川さんの市民集会に菅さんが先頭を切って奮闘していた姿が懐かしい。憧れたものだった。

しかし、選挙ではなかなか勝てず、1980年第36回衆院選で初選出となる。四度目の正直だった。

他の恵まれた家系の議員(二世議員や財閥系)とは異なり「超・苦労人」である。

誰がやっても苦難の道であるが、

数少ない「市川イズム」のDNAを持つ政治家である菅さんには頑張ってもらうしかない。

民主党には大きく分けて旧社会党系、旧自民党系が存在すると言われるが、菅さんはどちらでもない。

辞任した鳩山さん、小沢さんもかつては自民党である。菅さんはリベラル(中道左派とも言われる)派である。

勝ち組、既得権益者に代表される「優遇される人々」に対して、「弱者」に目を向けるのが「市川イズム」でもある。

是非、庶民感覚を忘れない政治手腕を発揮して、少しでも希望の火を灯して欲しい。

Kazuo Habuka

今の日本はカレンダーの表紙のように毎年「宰相」が代わる国でもいいのじゃないか?

もう何も驚かないし、落胆もしなくなった自分が怖いけど、よく考えるとそんな国になったのだと思った。

安定した政治や政府を期待する方がむしろ間違っているのかも知れない。

適任者がいないのではなくて、時間をかけて適任者を生んでいく発想が大切な気がする。

世論調査を持ち出しちゃ問題意識を意図的に絞り込み、政権も代えてしまう時代にも慣れるしかないね。

沖縄米軍の問題も根底には、日米安全保障条約が大きく横たわっている現実がある。

国際条約というものは、一国が勝手に無視したり破棄することは事実上出来ない。

クーデターでも起きない限り、条約に書かれている約束は履行しなければならないからだ。

嘗て我々の先輩たちが、60年代安保や70年代安保で戦った歴史が今になって身に染みるのだ。

憲法を骨抜きにさせる日米安全保障条約の拡大解釈が問題なのだ。

安保自体を未来的に見直すことが世論で盛り上がらないと、今回のような問題は永遠に続くのだ。

過去の清算は出来ていないどころか、未だに日本は戦争に負けた「負の遺産」が増えてきている。

実に難しいが、どこかの新聞社が焚きつけている「改憲論議」より

「安保の見直し」を勇気を持って日米両国間で優先するべきと思う。
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※この子たちの未来はどうなるのか?しっかりとしたビジョンを示して欲しい!

今の時代「イデオロギー論争」は死語になった。政治手腕で国民は答えばかり求める。

結果が悪ければ「クビ」だ。プロ野球やJリーグの監督なら分かるが、

政治は結果よりも、長期的な視点を持った「プロセス」や「フィロソフィー」が重要だ。

「プロセス」や「フィロソフィー」を注視する世論を盛り上げないと「結果偏重主義」になる。

結果良ければ・・・的な風潮は「全体主義」への兆候である。

答えが見つからないときは「トライ&エラー」を繰り返すことが、新しい知恵(叡知)の種になる。

急に時代が良くなるわけはない。混迷を続けているのは日本だけではない。

我々も悲観的にならず、こんな時代を生きている実感を噛みしめていくのが良いかも知れない。

政治に「スーパースター」を求めちゃいけない。求めると必ず間違った方向に行く。

Kazuo Habuka

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