2010年4月アーカイブ

夏場所の話題は何と言っても「幕下」が今までになく面白いぞ!!次代を担う若手が群雄割拠しています。

先日大相撲協会から新番付が発表された。いよいよ大相撲モードになってきましたね。

3月場所、惜しくも新十両で勝ち越せなかった「益荒海」が幕下筆頭になった。

新十両3人の中で、「大道」と「佐田の富士」は十両に残った。

「益荒海」はこの悔しさをバネに頑張って欲しい!若いときの「千代大海」を思わせる風貌が大好きだ。

イケメン「魁聖」(ブラジル出身:友綱部屋)が幕下二枚目と勝ち越せば新十両の好位置だ。

注目は、大関「琴欧洲」と同じブルガリア出身の「碧山」(田子ノ浦部屋)が幕下五枚目に躍進したことだ。

「碧山」は先場所幕下全勝優勝した。彼の潜在能力は他を圧倒している。

実際、デビューしてから「一敗」しかしていないのだ。琴欧洲より凄いかも知れない・・・

幕下の相撲はNHK BS1で中継されています。普通は13:00からの熱戦を観ることが出来ます。是非!

幕下以下の力士は僅か7日間の取り組みだが、毎日朝早く起きて掃除・洗濯・ちゃんこを手伝わなくてはいけない。

自分の取り組みが終われば先輩のお世話も大切な仕事だ。そんな幕下の頑張りが大相撲を支えているのだ。
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4月29日(土・祝)に、恒例の横綱審議委員会による「稽古総見」が行われる。

ご存じの方も多いと思いますが、入場無料です。但し、朝7:00開場ですから注意して下さい!

稽古時間は、午前7時30分より11時までとなっている。寝坊したら良い席が取れませんよ。

Kazuo Habuka

第六話 カメラバカ一代私立高校での青春がスタートした」

入ったクラブは写真部ではなく「バレーボール部」だった。

基本的に僕は元来体育会系だった。つまり身体には自信があったから。

この高校の付属中学と以前対戦したことがあった。いつもボロ負けだったけど・・・

そんな縁で、顔見知りの同輩や先輩もいたので割りと直ぐに決まった。

「M-1」が最初に活躍したのはクラスメイトと行った「奥多摩の遠足」だった。

僕は小さいときから旅行が大好きで、クラスでは「遠足委員」に立候補して選ばれた。

写真を撮ると友達が出来るパターンを高校でも実践したのだ。

自然にコミュニケーションが生まれるのが写真の凄いところだ。

学校にも持ち込んで、クラスメイトのスナップを撮りまくったな。

以外と女の子に評判だった。片思いのマドンナにもシャッターを押し続けた。

高校の卒業アルバムには、「M-1」で撮った高校生活の記憶がたくさん収められてている。

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しかし、購入して1年も経たないうちに「M-1」は不注意で井の頭公園の池に落としてしまった。

※地元吉祥寺ではでは井の頭公園で二人でボートに乗ると失恋するとか様々な因縁があるらしい・・・

デートではなかったがグループ交際というほのぼのとした関係で、

みんなでボートに乗って悪ふざけしている最中に誤って水没させてしまったのだ。

直ぐに引き上げたので最悪の状況は避けられた。修理可能ぎりぎりの水没だった。

ショックだったがみんなと別れて、直ぐにカメラ屋に持って行った。

買って1年未満だったので、保証期間中の有償修理扱いで再購入することになった。

再購入したら、やはり既に名称が「M-1」から「OM-1」に変更されていた。


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第五話で少しその変更について触れたが、

高価で優れた性能のドイツのレンジファインダー・カメラ・メーカーである

「ライカ」(ライツ社)からクレームが入ったからである。

ライカでは「M」が製品の記号になっているため、紛らわしいとのことだろう。

当時はM3、M2、M4、M5と言った具合に、確かに頭に「M」がついていたのだ。なんとM1もあった。

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※歴史的な名機、そして私の宝物 Leica M4 Black paint

「M」はMoreの頭文字だそうで

「より早く、簡単(容易)に、確実に」をコンセプトにしたと聞いた。実に深い・・・

「商標」というロイヤルティの存在を初めて知ったのもこの時からであった。

少しだけ「ライカ」が気になってきた。オリンパスを訴える会社って一体どんな会社だ?

「カメラと時計は日本が世界一」と確信していた私にとって、その常識を壊しかけない存在に見えてきた。

銀座に出掛けたとき、カメラ店の店頭でライカの値段を見てびっくりした。

ボディだけで最低200,000円以上もする。古い製品の方がもっと高かった。レンズも同じくらい高価だったのを覚えている。

ベンツやロールスロイスが高いのは知っていた。金額は分からなかったが、国産のクルマが何台も買えるぐらい高い。

当時「ライカ」はお金持ちのカメラの代名詞で、旅行先でお金がなくなったら、

その売ったお金で高級ホテルと飛行機代が出ると言われていた。

欲しいとは思わなかったが、「M-1」から「OM-1」の名称変更で、

「ライカ」という「生涯の魔物の存在」を知ることになる。

不定期に続く・・・

Kazuo Habuka

先ず最初の「温度差」は皆様もお感じになっている「気温差」です。

温暖化と言われているのに、サクラが散り始めている時期に雪が降りました。

4月は昔から朝と夕方の気温差はあったと記憶していたが、

先日春めいたと思って嵩張るコートを家に置いて出掛けたものの、

帰りは真冬並みの寒さで、自転車のハンドルを握る手が震えてしまった。

明け方ガサガサ音がするから、愛猫が餌でも欲しがっていると思い起き上がったら

何と外は銀世界だった。子供は喜ぶと思うが、唖然としてしまった。

人間には「体内時計」ならぬ「体内温度計」みたいのがあって、

季節を感じて微調節する機能がある。

しかし年齢を帯びてくると、この微調整が効かなくなってくる。情けない。

4月になって、明け方何度も風呂に入った。今日も雨が降って寒いね。

次の「温度差」は国民と国政との「感覚差」です。

今急を要するのは「景気対策」と誰しもが思っているにも拘わらず、

「立ち上がれ日本」「新党改革」などの急場しのぎの新党が結成されています。

これも全て参議院選挙を睨んでのことだが、

離党する前に、ビジョンをしっかり示して欲しかった。順番が逆な気がする。

政局が乱れると新党が生まれるのは今始まった事ではない。

嘗て「サラリーマン新党」とか「スポーツ平和党」という面白い政党もあったな。

「スポーツ平和党」の初代党首は「アントニオ猪木」さんだったの覚えてますか?

私は専門分野じゃないからうまく言えないけど、

先進国で年間の自殺者が30,000人を超えている国家の責任は重い。

「自殺」は国民と国政との「温度差」によって生じた「社会環境」が引き金であることは言うまでもない。

自殺者が減るような「明るい未来」「夢」を提示できるようなリーダーシップが必要だ。

先の衆院選で福田衣里子さんが掲げた「いのちをつなぐ政治」を早く実現して欲しい。

Kazuo Habuka

日本相撲協会の生活指導部特別委員会外部委員を辞めた「やくみつる」さん

「協会には伝えてあります。厄介な力士もいなくなりましたし、

今後は私の仕事になるような事件が起きないことを願います」と話したそうです。

やくみつるさんは「厄介払い」を目的に(誰かに頼まれて)外部役員を努めてきたのかと思ってしまう。

まだまだ大相撲には課題が山積しています。これからっていうときに・・・

今までテレビなどを通じて立派なことを主張して、様々なこと提言をしてきたのに本当に残念です。

このタイミングで辞めるくらいなら、最初から委員なんか辞退して、

ひたすら安物の正義感を売りにする「上げ足取りのマンガ」を描いていれば良かった。

その方が素敵でしたね。

朝青龍がいなくなったら自分の真価が発揮できないのかな?

相撲を本当に愛しているのなら、委員を受けた以上もっともっと頑張って続けて欲しかったな。

これじゃ「ただの人気取り」です。所詮「相撲取り」のキモチは分かりませんよ。

Kazuo Habuka

第五話 カメラバカ一代「合格そしてM-1との出会い。両手に花の有頂天。」

目標だった私立高校に入学し、バイトの貯金に入学祝いを加えた軍資金で

とうとう憧れのオリンパス「M-1」を手に入れることになる。

内金をして預けていたカメラ店に取りに行った。

お店からも御祝いにと革のケースをプレゼントされた。最高に幸せだった。

「M-1」の名称は「ライカ」からの意匠のクレームで「OM-1」に変わるらしい。

僕の「M-1」は貴重になると店員が言っていた。

しかしそれから約30年後、この「ライカ」という魔物に振り回されるとは思ってもみなかった。

オリンパス「M-1」は空前の大ヒットカメラになっていた。はやる気持ちを抑えながら家に向かった。

そんな帰り道、幼いときの想い出が浮かんできた。

正月にお年玉をもらって、初詣に賑わう地元の神社に行った。いつもより高価なものが買えるからだ。

「ガイコツの操り人形」に惹かれた。

黒いベッチンの幕を背景にコミカルに躍るガイコツに魅了された。

実にスムーズに生きているかのような立ち振る舞い・・・

売っているオヤジの話術も手伝って、幼い僕はその不思議な世界の虜になった。

低く濁声で「坊や、買うのかい?」「面白いよ!」

買うしかなかった。お金を払ったら茶封筒に入った「ガイコツの操り人形」を手渡された。

「坊や、おうちに帰るまで開けちゃだめだよ。」「ガイコツが化けて出るから・・・」

そのときのオヤジの瞳が怖かった。すっかり信用して急いで帰った。

早速茶封筒から取り出すと全てが分かった。「騙された・・・くそっ!」

入っていたのは、薄っぺらい粗末な紙に書かれた「へたくそなガイコツの絵」と「タコ糸」だった。

デモンストレーションとは月とすっぽん、別物であった。生まれて初めて詐欺にあった。

泣いていた僕を見て、母は上手にガイコツを切り取り、加工してくれた。見事だった。

「ガイコツの操り人形」より母の愛情がとても嬉しかったな。

途中で開けると「カメラが化けて出るか・・・」と、懐かしい想い出と一緒に帰宅した。

手にした日は、一日中シャッターを押したり、レンズを交換したり、説明書を読んだりしていた。

努力して手に入れたのだから自慢したって良いのに・・・と思ったが、

両親に「絶対に友達に自慢しちゃダメだよ」と言われたので「じっと」堪える日が続いた。

オリンパス「M-1」のデビューは、近所の井の頭公園だった。そう「公園デビュー」である。

36枚撮りの白黒フィルムが一瞬にして無くなった。

嬉しさと興奮がミックスされ夢中でシャッターを押したのだ。

写真屋にフィルムを出した。今では同時プリントは45分位で仕上がるが、当時は出来るまで2日間ぐらいかかった。

早く撮った写真を見たい!と、空シャッターと、レンズ交換、説明書を読んだりしながら出来上がるのを待った。

2日経った。ドキドキしながら写真屋に向かった。

夢中でシャッターを切った景色が生き生きと撮れているではないか。それもシャープに鮮明に・・・

悦楽の境地だった。やっぱり写真はエクスタシーだった。

不定期に続く・・・

Kazuo Habuka

いかにも松井らしい一日だった。試合は5タコでも彼はヒーローだった。

チャンピオンリング贈呈セレモニーは想像以上に感動的だった。

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故郷に帰ってきた友人をクラスメイトが総出で祝福する様な「温かいムード」がスタジアムを覆った。

観客には「MVP」のプラカードを持参した人も見られた。

最初の打席は鳴り止まないスタンディングオベーションに戸惑い、

松井は打席を外し、ヘルメットを掲げ軽く観客に応えた。打席でのカーテンコールだった。

NYヤンキースの中心選手として

「謙虚に」「ケガと対峙し」「チームの勝利を優先して」一生懸命プレーした松井への讃辞だった。

数字以上に松井の「人柄」が果たしてきた功績を両軍のチームメイトも観客も分かっていたのがとても嬉しいかった。

今日は敗れたが、まだこれからも昨年の覇者との戦いは続く。5タコ(無安打)は松井らしい謙虚な数字か?

奇しくもワールドチャンピオンの胴上げ投手「ペティット」が先発だったのは演出?にしては出来過ぎだった。

これから一試合一試合毎に、松井秀喜ワールド・シリーズMVPの活躍は「レジェンド」となり、

観客からの温かいムードは消えていくだろう。喝采ではなくむしろ「ブーイング」を浴びるヒールになって欲しい。

むしろそうなって欲しいと松井も思っているに違いない。MVP狂想曲はこの辺で終わった方が良い。

ポサダ、ロドリゲス、そしてジーターの熱い抱擁は待ち望んだ再会でもあったが、正式な決別にも見えた。

眠いけど、これを観なくして「松井ウォッチャー」の資格はないよね。明日は爆発だっ!

Kazuo Habuka

第四話 カメラバカ一代「猛暑の中、コンニャク屋での戦いが始まった」 

コンニャク屋の朝は早い。5:30起床。しかし、朝食が実に美味しかったのである。朝起きるのが楽しくなった。

今までコンニャクと言えば、おでんや弁当などに入っている煮物の脇役だった。

特に好きとか嫌いとかの産物ではない。

意識して食べたことなどなかったが、ここではコンニャクの種類も様々あり、

調理法によって味覚のバリエーションも豊富なことを知るようになる。

刺身コンニャクというのがあって、これにはまった。辛味噌や酢醤油などにつけて食べると、

コンニャクが「生もの」に見えてくる。

コンニャクの作り方を知った。

こんにゃく芋を粉砕して乾燥させた「粉」をお湯で溶かすのだ。

固める際に食用石灰を少し入れて混ぜ、冷めると固まるのだ。

この過程で「固さ」や「色」が決まる。

一般的に黒いコンニャクは「ヒジキ」「アラメ」「カジメ」を粉砕してまぶした物である。

シラタキは、コンニャクを細く抽出したものだ。

糸コンニャクは、シラタキより太く抽出したもので、全てコンニャクが主成分である。

シラタキを小さく巻いて輪ゴムでとめる作業が日課となった。

多分150グラムくらいの玉を作ったと記憶している。

最初の頃はひとつひとつ計量をしたが、慣れてきたら目分量で作業も早くなった。

一日1000個くらい作った。いつも指先がふやけていた。

コンニャク以外にも心太(トコロテン)作りも手伝った。

天草を水に浸し、ゴム長靴で踏みしめ汚れや天草以外のゴミを取り除く作業だった。

ゴミの中には、小さな蟹や貝がしばしば発見され面白かった。きれいになった天草は熱湯で溶かされる。

夏場なのでその熱湯で溶かす作業は大変だった。

暑さでフラフラになったが、大きな保冷庫があったのでみんなで入って涼んだ。

その中で、ポケットに入れてあるシワシワになったオリンパス「M-1」のカタログを見ながら食べた。

「手作りのトコロテン」の味は絶品だった。今でもトコロテンは好物である。

アルバイトも終わり、憧れのオリンパス「M-1」を購入できる資金が手に入った。

しかし、本当の本番は来年の2月だった。カメラ屋には事情を説明して、入試まで保管してもらうことにした。

それは、カメラが家にあったら勉強どころの騒ぎではないからだ。

ひとまず「一眼レフ熱」を封印することになったのである。

不定期につづく・・・

Kazuo Habuka

苦悩と葛藤の末に決断したLAエンゼルス入団。その晴れ晴れとした雄姿がヤンキーススタジアムで披露される。

大リーグは「能力」と「ビジネス」のパワーバランスの中で生き抜いていかなければならない過酷な世界だ。

松井は自らそれを選択して海を渡った。もうMVPの栄光は過去のものであることは分かっている。

しかし、松井秀喜の神の領域までに達した、ワールドシリーズの活躍はあまりにもインパクトがあり、

ベースボールの醍醐味をあらためて体現してくれたパフォーマンスは、

新しいシーズンを迎えても尚、我々日本人のみならずアメリカ人の心を掴んで放さない。

新書「信念を貫く」(松井秀喜著)を読んだ。泣いた。

フリーエージェントからエンゼルス入団までの、松井本人の素直な気持ちが手に取るように分かる。

その「素直な気持ち」とは、野球を愛して止まない松井の「情熱」以外他ならない。

松井を本当に必要としていたのはNYヤンキースではなくLAエンゼルスだったのが分かる。

GMとソーシア監督自ら松井に直接会ってプロポーザルしたエピソードが詳細に描かれている。

ソーシア監督の人間性が本当に好きになりました。と言うより、松井が呼び寄せた運命の監督なのです。

移籍したエンゼルスでの活躍は皆様周知の如く「当然」「必然」なのです。

日本時間4月14日午前2:00からヤンキーススタジアム行われるのNYヤンキース対LAエンゼルスは見逃せない。

松井が一番欲しかった「チャンピオンリング」の授与式が試合前に行われる。これは歴史的です。目撃しよう。

NYのファンや元同僚の選手(ジーター、ロドリゲス、ポサダなど)が松井をどう迎えるか?

いまからドキドキです。M・V・P! M・V・P! M・V・P!!!

◎「信念を貫く」(松井秀喜著)は、新潮新書¥714です。必読です。

◎ヤンキース戦はNHK総合で、4月14日午前2:00から生中継します。

Kazuo Habuka

三話 カメラバカ一代「有名私立高校入学と憧れの一眼レフを手に入れる戦い」

中学3年生の時、オリンパス「M-1」と言う一眼レフカメラが発売されるニュースを知った。

世界最小最軽量の一眼レフカメラであると同時に操作性も優れていて「独創性」が随所にあった。

「これだっ!」と、完全に私の思春期のハートを射貫かれてしまった(SHOOTされた)。

熱病もとうとうピークに達してしまった。アイドルに夢中になる少年のようだった。欲・し・い・・・

オリンパス「M-1」は、世界的なカメラ・エンジニア「米谷美久」が手がけた社運を賭けた大プロジェクトだった。

「宇宙からバクテリアまで」というMシリーズ・コンセプトは今でも鮮明に覚えている。

顕微鏡(胃カメラ含む)から天体望遠鏡までの被写体を捉えるシステム設計は、

次代の光学分野の可能性を無限に拡げる「夢とロマン」に溢れていた。

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しかし「M-1」を手に入れるためには、ボディと交換レンズ合計で10万円くらいの予算が必要だった。

小遣いをこつこつ貯めた持ち金は2万円程度。目の前が暗くなり気が遠くなった。

「希望校に入学したら買ってくれる?」という方法も考えたが、100%確実ではないので断念した。

そこで、親戚の中野のコンニャク屋で夏休みの2ヶ月間アルバイトすることに決めた。

高校受験真っ盛りの時期だったので、住み込みでバイトと勉強を両立させることになった。

朝から夜までバイト、深夜は住み込みのバイト連中との受験勉強に精を出す計画だった。

有名私立高校合格とオリンパス「M-1」の両方を手に入れるための「地獄の試練」が始まった。

不定期につづく・・・

Kazuo Habuka

努力と天性が晩年しっかりかみ合った「プロ中のプロ」だった。格好良かったぜ!キムタク!!

「足の速さは誰にも負けない風を切り走れ木村拓也♪」の応援歌をみんなが歌っているぞ。

昨年の9月4日ヤクルト戦で12回表、木村選手が急遽「キャッチャー」を立派に勤めた姿は感動的だった。

帰ってきた木村選手を原監督が労った姿がまだ鮮明に瞼に残っている。ファンは皆同じ気持ちだったに違いない。

嘗てV9選手として人気者だった「赤い手袋」柴田勲も器用な選手だった。

幼いとき後楽園に試合を観に行ったとき、外野の柴田選手がキャッチャーを務めたのを覚えている。

全ての外野や内野を守れる選手は以外と多い。しかし、キャッチャーとなると別だ。

私は小学校の時、ポジションがキャッチャーだったから良く分かる。専任のポジションだ。

「はい、わかりました」と急にやれる簡単なポジションではない。

ユーティリティープレーヤーを目指してきたのは、試合に出たい「熱い気持ち」がなせる技だと思った。

ホームランや三振を量産する派手な選手が全てではない。

野球というドラマを動かす歯車に木村拓也選手のような存在がいなくなった事は残念である。合掌。

Kazuo Habuka

松井という「人間の素晴らしさ」がもたらした、神様からの御祝いの一発だった。

「名刺代わり」と多方面で表現されていたが、名刺なんかではない。

自分を迎え入れてくれたソーシア監督や地元ファンへのお返し(プレゼント)だった。

「Matsuiland」という地元エンゼルスの熱狂的な松井ファンがスタジアムでプラカードを掲げていた。

http://matsuiland.com/というHPもあるのでどうぞ。

どちらかというと「松井グッズのコレクション」サイトみたいだ。

Hideki Matsui Baseball Meseumや

Hideki Matsui Stats, Bio, Photos, Highlights の入り口(リンク)も用意されている。

先日NHKの大リーグ開幕直前番組で「イチロー」と「松井」の特集をやっていた。

どちらが好きかというバカなコーナーがあったが実に面白かった。

女子ソフトボールの上野選手は松井の大ファンだそうだ。上野らしいな。

僕が松井を好きなのは、有名になっても「田舎ぽさ」と「野球少年ぽさ」が残っていることかな。

厳格な父の存在、星稜高校の山下智茂監督、長嶋や王との出会いが現在の松井の人格を育んだ。

松井が結婚する前の2007年、

東京スポーツなどが共催した『AV OPEN』の特別審査員として堂々と出席していた。

松井は自ら「AVファン」と公言していたのは有名な話し。

ニューヨークで知り合いの記者に向かって、新しいAV持ってきた?って冗談交じりに聞いていた。

そんな格好付けない「自然体の松井」が大好きである。

ニューヨークより温暖なロスで無理しないで全試合出て欲しい。

さあ、松井から目が離せないぞ。エンジーラ(エンゼルスのゴジラ)になって暴れてくれ!

Kazuo Habuka

二話 カメラバカ一代「一眼レフカメラへの熱病が始まる・・・」

「写真部」の部員の多くは(当時では)高価な「一眼レフカメラ」を持っていた。

私が持っていたのは「リコー・オート・ハーフ」という、「バカ○ョン・カメラ」の代名詞だったから

「一眼レフカメラ」はプロっぽく、趣味性も高く羨ましく映った。

「リコー・オート・ハーフ」は、ゼンマイでフィルムを自動的に巻き取ることができる画期的なカメラでだった。

シャッターを押すと「ジーッ」と音がしてフィルムの一コマ一コマを巻き取る仕組みだ。

巻き取る力が弱くなったと感じたらゼンマイを巻き上げればOK。ピント調節も露出調整もいらない。

正に「バカ○ョン・カメラ」なのである。

「リコー・オート・ハーフ」の「ハーフ」の意味は、通常のカメラで使うフィルム1コマの面積の半分を使用する。

つまり36枚撮りなら、何と!72枚以上撮影ができる「超エコノミーなカメラ」だった。

当時はハーフ・カメラも結構多かった。

最近デジタルカメラになって再登場した「オリンパス・ペン」も昔はハーフサイズだった。

「オリンパス・ペン」は、ハーフサイズにも拘わらずレンズ交換が出来た優れものだった。凄いね。

さて「一眼レフカメラ」の技術や機能性を飛躍的に発展させたのは我が国ニッポンであることをご存じですか?

50年代の高度成長期、

旭光学工業(現在のペンタックス)、日本光学(現在のニコン)、キヤノン、オリンパスなどが競い合い、

ライカ(ドイツ)の「レンジファインダーカメラ」に対し、

「一眼レフカメラ」の領域では日本が世界をリードするまでに至っていた。

日本の一眼レフカメラは、従来より明るく正確なファインダーを実現したことだった。

それは日本のレンズ研磨技術=光学技術、

シャッタースピード制御のメカニズム、

正確な露出計測などが卓越していたからだ。

当時の少年にとって、日本のカメラや時計の技術は「世界で一番」だと大人たちから聞かされていた。

(しかし、必ずしも一番ではなかったことを成長するにつれ知ることになる。)

一眼レフは取り付けたレンズを通して得られる画像を直接認識してフィルムに投影できるメリットがある。

所謂、見たままが撮影できるのだ。

ボケの雰囲気や、望遠レンズでとらえた拡大された世界がファインダーを通じて目視(確認)できる。

対して「レンジファインダー式カメラ」は、一眼レフとは異なり、

フィルムに投影するレンズとピントを合わせるためのファインダが別々に存在する。

ピントの精度は高いが、一眼レフのように見たままが撮影できるダイレクト感はない。

ファインダーに示されるブライトフレームの枠の中に被写体を納める仕組みだ。

フレーミングで被写体を切り取る感じかな?

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※Leitz Hector 28mm f:6.3(1935年製)

「直感型が一眼レフ」で「想像型がレンジファインダー」と言った棲み分けかな?

私にとって一眼レフ最大の魅力は何と言っても「シャッターの音」であった。

機械式シャッターが奏でる「パシャッ!」という響きがたまらなかった。

レンズを通過した光が、カメラの中にある「ミラー」に反射し、

カメラの上部に位置するプリズムをくぐり抜けファインダーに届くのだ。

シャッターを押すとその「ミラー」が跳ね上がり元に戻る音が「パシャッ!」と発するのである。

目の前の獲物を全て奪い取る、まさに「SHOOTする」に相応しい効果音なのである。

「音」は人の想像力をかき立てる重要なファクターなのだ。

これをきっかけに「俺もいつかは一眼レフを・・・」という猛烈な熱病が始まった。

不定期につづく・・・

Kazuo Habuka

相撲専門のブログ化してきているので、不定期ではありますが「気まぐれ私小説」をスタートします。

私にとってカメラや写真が「単なる趣味」では終わらなくなってしまった、

その「青天井の魅力」と「底知れぬ魔力」の世界にみなさまを誘います。

 

一話 カメラバカ一代「カメラと写真との出会い」

写真を撮ることが興じて、結果的にカメラやレンズが増えてしまった。

結果的にと言うのは、カメラを「集めること」や

良いコンディションを保ち「売価(資産価値)を高める」のが目的ではない。

カメラや写真という「文化」を極めたい一心で40年近く付き合あうことになった。

カメラそして写真と巡り会ったことで「知り得た財産」はあまりにも大きい。
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※Leica IIIf Nr.628725 (1952〜53年製)

私が今までに取った写真一つ一つには、その時感じた「雰囲気」「印象」が見事に記憶されている。

それは私に才能があるからではない。写真にはそういったチカラがあるのだ。

頭の中の遙か遠くにしまい込んでいた当時のイメージが写真を通じて見事に蘇る(再生する)から不思議である。

その時のシャッターを押す瞬間の「躊躇い」や「決断」、時には「気合い」が写真に現れている。

カメラは使ってなんぼの製品だ。

「使ってなんぼ」とは、撮った写真そのものに「答え」があり「存在価値」を示してくれるからだ。

使わなくて眠らせていては、カメラに失礼である。使うことで「歓び」と「発見」が味わえるのだ。

カメラへの興味は、中学1年生の遠足にオヤジのカメラを借りて持って行った時から始まる。

遠足の後、校内に生徒たちが撮影した作品が模造紙に貼り付けられ廊下に掲示された。

私の写真は以外と人気があった。欲しい人は自分の名前を写真の下のメモ用紙に記入する仕組みだった。

人気があったのは多分、なるべく多くの生徒のスナップを撮ったのが良かったのかも知れない。

今まで会話もしたこともない生徒が、この写真が「縁」で友達になったりした。嬉しかった。

今でもスナップが好きだ。背景とか気にしすぎて「躊躇」するよりか、気が向くまま撮るのが自分らしい。

当時の私の中学校は、「課外クラブ」と「課内クラブ」があった。

課外クラブは通常の部活である。私はバレーボール部だった。

課内クラブは、授業の一環として扱われ、成績に反映されるのだ。とは言えみんな評価「5」だったと思う。

1年生の時「課内クラブ」が施行され、間髪を入れずに「相撲部」に入った。

女子部員がなんと!2人もいた。両方共にすっごく太っていたな。

美術の先生が相撲部の顧問を担当した。高校時代体育会の相撲部に在籍していた本格派だった。

しかし他のクラブと比べ人数は少なく、とても地味なクラブだったのを覚えている。

学校には土俵がなかったから、校庭の隅っこに白線を引いて土俵を作った。もちろん回しはつけなかった。

遠足の写真を誉められたこともあって2年生からは「写真部」に入ることとなった。

写真部に入って良かったと思ったのは、

自分で撮影したフィルムを現像し印画紙にプリントする過程を勉強できたことだ。

真っ白い印画紙にジワッと画像が浮かび上がってきた瞬間は今でも忘れられない。鳥肌が立った。

赤い暗室ランプが灯り、現像液や停止液(酢酸)の異臭が漂う中、

今まで体験したことのない、ある種のエクスタシー(快感)さえ感じた。

撮影という「芸術(創作)性」、

カメラという「メカニズム」、

現像という「化学反応」が三位一体化されたイリュージョンの世界に引き込まれてしまったのだ。

不定期につづく・・・

Kazuo Habuka

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