2009年8月アーカイブ

民主党圧勝。ピンぼけになった自民党政治に、国民がNO!を突きつけた選挙だった。

小泉から安倍・福田・麻生政権と、首相が替わる度にどんどんピントがボケてしまった。最後は霧がかかったかのように存在すら分からなくなった。
小泉劇場では、一時的に何かピントが合ったような錯覚をしたのは確かだった。
さらに小泉劇場に対し、マスコミの扇動型取材が加わり、国民の多くが人気や彼のパフォーマンスに踊らされたことも忘れてはいけない。
民主党が政権を握っても、このようなマスコミの無責任な対応が変わらなければ、また同じような茶番劇になる可能性がある。やめてもらいたい。
「分かりやすいこと」や「面白い」だけを売りに世論誘導(幻惑)し、誤った認識を植え付けるような報道は許せない。先の選挙報道番組である評論家Mさんが、今回は「どこの馬の骨か分からない議員がいっぱい選ばれた」との発言が当たり前のように流されたが、実に失礼な話しだ。この例えは間違っている。
多分「誰も知らない」「分からない」の意味で使っているのだろうけど、「馬の骨」は中国のことわざで「一に鶏骨、二に馬骨」が語源。
「役に全く立たないものの代表格」を指す意味である。
人をバカにするのもいい加減にして欲しい。これから頑張ろうと思っている人に失礼極まりない。謝って欲しい。
このような政権与党を擁護してきた見え見えのジャーナリスト、大企業の回し者である立派な肩書きの評論家さんたちは、政権が変わってからどうなるんでしょうか?
マスコミもよーく考えて、この機会に彼らを交代させて欲しい。

昨日の選挙特番はある意味で面白かった。選挙ショーまたは選挙バラエティを狙ったと思うが、
出演しているお決まりのゲストは完全に霞んで、何のために出演しているか(本人たちも)分からないほど醜かった。
だって今回の選挙の主役は間違いなく国民だったから・・・
黒澤明「七人の侍」のラストで生き残った勘兵衛の名台詞、
「勝ったのは我々(民主党)ではない、百姓(国民)たちだ。」ですよね。

私が一番ココロを打たれたれたのは、長崎2区の福田衣里子さん。
薬害訴訟の原告という立場であるが、「いのちをつなぐ政治」はグサッときたな。
身長140センチの小柄な身体から発するオーラは凄かった。
「命を奪うのも政治なら、命を救うのも政治」「ひとりひとりの生命を大切にする政治」
生活が第一の前に、命をつなぐことの使命を自ら悟った人の言葉だ。
彼女を小沢チルドレンとか小沢ガールとか呼ばないで欲しい。彼女にはしっかりとした素晴らしい志がある。
是非、民主党は人々に生命力(いのち)を吹き込む政治を実践して欲しい。

福田えりこさんのHP http://blog.livedoor.jp/ennriko555/ 是非!

さて本題の「ピンぼけ政治とオートフォーカス政治」について。

被写体に向かってどこにピントを合わせるか?は
カメラの世界では撮影上、表現上、重要なファクターである。
全てにピントがあっている最近のデジタルの画像は、実にキレイに見える。
しかし、我々の表現を借りれば「説明的な画像」と言うことになる。
一部にフォーカスした画像は撮影者の意図がくみ取れる画像となる。
それを「表現的な画像」と言っている。

さてピントについて解説しましょう。
ピントとはカメラと被写体の距離を合わせることによって、実像を写し取ることである。
距離を誤ればボケる原因になる。
カメラには人間の目の「虹彩」にあたる「絞り」がある。絞りはF値で表される。
例えばF2.0を基準(開放値)とすると、F8.0になれば「絞り」によって光がコントロールされ、
ピントが合っているポイント前後(の距離)に許容範囲が出来る。いわゆる深みのある写真になる。被写体深度という。
ピンホールカメラで撮ると、手元から遠くまでキレイに映るのはこの原理。
逆にF2.0であれば、ピントが合っているポイントが狭い範囲の写真となる。
雑誌などのポートレートで、女性の目にピントが合っていて
それ以外がボケている写真を見たことがあると思う。
オートフォーカスが無い時代、ピントは目視しながら手でやっていた。
私は現在でもこのピント合わせがカメラの醍醐味と思っている。
「こんな楽しいこと機械にに任せてたまるか!」

政府(国)にピントを任せてきた「オートフォーカス」政治の顛末は課題を多く残した。

これからは一人一人がそれぞれの視点で国と向き合い、「自らの手で頭でピントを合わせる」ときが来た。
Kazuo Habuka

私や仕事の影響も少しあると思うのですが・・・今、カメラが熱い!

二人の社員それぞれの被写体(用途目的)が異なるので、カメラ選択の指針が微妙に違ってくるから実に面白い。
山登りが趣味の「O君」は、山をもっとキレイに撮りたい。
つまり、今までは山に行きましたという程度の「記録写真」に止まっていたということ。

弊社で一番若い「U君」は、愛息のポートレートを撮りたい。
つまり、本人や愛妻が「もっともっと可愛いのに・・・」という、意に反した「成長の記録写真」が多いということ。

二人とも共通しているのは、「自分が下手」「未熟」「無知」が要因なのにカメラの責任(せい)にしていることです(笑い)


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↑首都高速4号線四谷付近をクルマから撮る(渋滞中)

目的がしっかりしているカメラ選びはそんなに難しくない。
つまり重要視する「機能」や「性能」に拘れば選定する機種が自ずと浮かび上がってくる。
そして、購入して早い段階に「とっておきの一枚」が生まれ満足に浸れる。

「そうそうこんな稜線だった!」「うわーっ、プロが撮ったみたい!」みたいな達成感。

反面、私のような何でもかんでも拘って、プロ並のレベルで撮りたい願望は、
カメラ本体、レンズ、フィルム、三脚、フラッシュ、フィルターなど
さらには、メーカー、ブランドや製造年、希少性の高い製品へと際限がなくなる始末。
「俺はもっと凄いはず・・・」とか「もっと上手くなりたい」という情念が全身を支配してしまう。

でも、山や子供がきっかけでプロのカメラマンになった人もいるから写真は分からない。

そんなローカルなカメラ選び熱が高まる中でふと思ったことがある。

1年くらい前かな、10代〜20代の若者調査で「最も嫌うことは何か?」との問いに
「恥ずかしいこと」または「失敗すること」が上位を占めていた。
人前で「恥ずかしい」と思うことや「失敗する」ことは誰だって嫌だと思うが、
そのキモチが保守的(安全な方向)に向かうのは実に残念なことだ。
だから、社員に対しても「安パイ」を選択させないように、いっぱい邪念を放り込んで苦労(邪魔)させてます(笑い)

カメラの売りが「誰でも簡単に」(バカ×××)の時代から
「失敗しない」または「プロフェッショナル」機能が研究され商品開発される時代になった。
「超広角」「○○はブレない」「クッキリピント」「美肌モード」「マクロ撮影」など、最近では動画のハイビジョン撮影もできる機種もある。
それと同時にケータイにメガピクセルのカメラ機能が搭載された機種も出てきた。
しかし、ケータイひとつで十分と思う人も多い中、カメラは別に欲しいと思う人が大半を占める。

それはカメラ好きの日本人のDNAがまだまだ健在ということです。かつて海外を旅する日本人を描くときには必ず
「パナマ帽」に「メガネ」、首からは「カメラ」といった姿が定番だった。
今では、築地市場を荒らし回る「不良外人」を描くとすれば、「短パン」に「Tシャツ」、手には「デジタル一眼レフ」となる。


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↑「Buono!」とお好み焼きに感激するイタリア観光客。甘い「おたふくソース」を山盛りかけていた。(新宿にて)

「失敗しない○○選び」という本が売れる時代です。
マンション、クルマ、グルメ、就活、婚活・・・とすっかりマニュアル化、パターン化している。
僕は、失敗するからこそ「人生は面白い」と思って生きてきた。
恥ずかしいことは「誇り」(自慢)とさえ思って生きてきた。
文学や芸術の世界では、恥ずかしいことこそ最大の快感や美意識とする考え方(主義)もある。大賛成。

カメラの知識がないから失敗する。
慌てて写すからブレる、ボケる。
それはリアリティがあるから失敗写真ではない。
大切な一瞬が残せなくて悔やむ人は多い。
知り合いで「旦那の撮影ミス」が夫婦げんかに及んだことも・・・

デジタルカメラがない時代に、著名なカメラマンたちは皆「その時の空気をいかに撮るか」と言っていた。
その「空気」とは「雰囲気」のことだ。デジタルはその多くが鮮明すぎて「雰囲気」に欠ける。
「素晴らしい記録」であるが、「記憶された雰囲気」にはほど遠いことが多い。
もし、その「空気」が撮れなかったとすれば、「次は・・・」と挑戦意欲が湧くんじゃないかな?

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↑我が家の愛猫「ミッシェル君」残暑にノックダウンか?

趣味ってどこか博打みたいなハイリスク・ハイリターン的な要素があって、
その深みにどんどんはまって出られなくなる。
悔しさって言うか、期待にほど遠い結果にがっかりして、言わば自虐的な世界を自ら望んで対峙する感じ。
俺は「この世界が好きだ」という「自認」が強ければ続けられると思う。
「へたくそ!」って自分が一番分かっているもん。
でも人の前ではプライドが邪魔して素直になれない自分も知っている。

やっぱり「凄い世界(存在)」を早い時期に見たり知ったりすることって大切なんじゃないかな。
ヤンキースの松井秀喜は、頭角を現してきた巨人時代に、落合(現中日の監督)のオーラを目の当たりにして「4番とは何か」を悟ったと言われている。

「凄い世界(存在)」って言うのは、ある意味で「知ってしまう怖さ」だと思う。
未知の領域への欲求って「怖いモノ見たさ」が根底にあると思うんだよね。

私のような自称ハイアマチュアは、初心者に対して「凄い世界(存在)」を提示していく義務があると思う。
「そう簡単に満足させない」高いハードルをつきつけることが大切なのだ。
それが日本さらには日本人を今日までに成長させてきたから。

機会があったら、二人の写真を公開する予定です。
さて二人は新しいカメラで、撮影したときの「空気」を撮ることができるかな?

Kazuo Habuka

以前私の趣味についてお伝えしましたが、「熱帯魚飼育」はなんと!30年くらい続いています。

熱帯魚を買い始めたきっかけは、ある知人の自宅に遊びに行った時、大きな水槽に高価な熱帯魚をいっぱい飼っていて、その何とも言えぬ「目映い世界」に魅了されたからです。直ちに友人付き添ってもらい、近所の熱帯魚ショップで「初心者セット」を衝動買いしたが始まりです。今でも鮮明に覚えているのが、その店の店長や常連客が若干「オネーマン系」や「水商売系」の人々だったこと。熱帯魚のファンがみんなそういった人々達ではありませんが・・・そう言えば、その知人もその気があったかもしれませんね。
さて、最初は安いネオンテトラから始まり、次第にエスカレートし飼育が難しいとされる「アフリカン・シグリット」に挑戦し失敗し、その後ユニークな容姿の「淡水フグ」の飼育に成功しブリーディングまで行い、現在に至っております。何故好きなのか?それは、透き通った水の中で伸び伸び泳ぎ、実に気持ち良さそうだからです。あとは健気な感じがするからかな・・・人間の種は水生動物(クジラやイルカ)からと言う説がありますが、私には分かるような気がします。現在は自宅に大型の水槽が1つ、事務所には中型の水槽と小型の水槽が3つあります。

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↑熱帯魚の定番「ネオンテトラ」キレイ・飼いやすい・安い!

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↑アプロケイルス・スマラクド(エメラルド色の奇麗な8センチ程度のサカナです)気が強い!

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↑バルーン・ラミレジー(鮮やかな色彩の5センチ程度のサカナ)もっと気が強い!

最近ちょっとはまっているのが、熱帯魚ではなく金魚の一種で「ピンポンパール」と呼ばれる雑種です。名前のようにお腹がピンポンのように球体になるのが特長です。

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↑ピンポンパールの子供です

巷では大人気種で、奇跡の雑種とさえ呼ばれているとても可愛い金魚です。まるでマンガに出てくるようなキャラクターの金魚です。「ピンポンパール」の発祥地は中国で、珍珠麟(チンシュリン)という金魚の突然変異の種を選別交配してできたそうです。大きくなってもせいぜい5センチ未満程度。今育てている子供は2センチくらいです。

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↑生後1年半くらいの大人のピンポンパール

フラストレーションが溜まったとき、大好きな音楽を聴きながら少し部屋を暗くして、この愛くるしい小動物の健気な生命力を眺めてヤンワリ元気をもらうのです!と言っても、私は「オネーマン系」ではありませんので誤解なく・・・
Kazuo Habuka

残暑お見舞い申し上げます。

地球温暖化、ヒートアイランド現象など日本が熱帯化しつつあるのは明白ですね。


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(台風9号が去ってのお台場の夜景です)

ところで、日本全国衆議院選挙モードになっております。
選挙関係者の皆様は18日の公示日以前からヒートアップしていると思いますが、私はそれほど今回の選挙に対して熱くなれません。
それより連日好ゲームを見せてくれる甲子園に熱くなっています。
それは冗談として、今回の選挙は、これからの日本をいろいろ考える(人生に於いて)最高で最大のチャンスと思っていますが、
選挙をこの夏最大のコンテンツとしか考えていないマスコミには呆れている次第です。
党が掲げる「マニフェストの比較検討」や「注目の選挙区を追う」ようなお決まりの扱いばかり。
小泉純一郎は首相の時に「マニフェストは守られないこともある!」と自信を持って?発言してたんですよ!
今のマニフェストの狙いは「選挙の票集めの看板効果」であることは分かりますが、
「分かり易さ+お得感=1票」みたいなマニフェストは危険です。
まずは大義名分として「日本をこれからどうやって再構築していくか?」が一番大切と思うのです。
実際「資本主義経済の破綻」、「自由主義国家の行き詰まり」は明白です。自由を勝ち取ってきた歴史には敬意を表しますが、
その自由とは「社会の規律」、特に「道徳的な価値観」に立脚したものだったはずです。
「何でもOK!」的な今の風潮は我々が勝ち取ってきた自由を崩壊させる方向にあると思います。
マニュフェストの多くに「ばらまき」的な要素が多いのは、
「安けりゃ買う」「値引きするなら買う」「値下げ歓迎」「風評に流される」といった
今の大衆の単細胞化に迎合しているようにしか映りません。
どこの政党良いとか悪いとかではなく、少なくともここ10年の日本の歩みに対して、
「精査」または謙虚な「反省」を通しての「課題」を摘出し、その課題に対して短期・長期の「展望」を示して欲しい。
第二次大戦で得た教訓を生かし高度成長を成し遂げた日本。
今の世界規模の金融破綻は戦争に匹敵するくらいのダメージがあるはずです。
日本人が平和呆けし資本経済に汚染された顛末をもっと真摯に受け取るべきです。
さらに今後、政党支持率とか誰が首相に相応しいか?と言った「世論調査」(世論誘導調査)がマスコミを踊らせます。
調査というのは「マクロ的な視点」と「ミクロ的な視点」の双方を鑑み、一定の理解・判断をするものと確信しています。
先ず今私が知りたいのは「マクロ的な視点」として「日本は今、健全(健康)か?」と言うことです。
健全でないのなら「治療」または「手術」が必要です。
体力が衰えているとしたらそれを補う「トレーニング」や「リハビリ」が必要でしょう。
今の日本は、禁止薬物(国債の発行や補正予算さらには規制緩和)の連続投与で身も心もボロボロになっています。
やっぱりみなさん「クスリ」に頼るのは絶対にだめです。
「クスリ」は一時的な効果はあるものの常習性という「リスク」が付きまといます。
「クスリ」がなくても健康な心身を築ける国家をつくりましょうよ。未来を勉強することが一番の「クスリ」と思います。

Kazuo Habuka

8月8日に東京湾大花火大会を見てきました。

8月8日に東京湾大花火大会を見てきました。

・・・と言ってもメイン会場の晴海ではなく、お台場のアクアシティ屋上特設会場で見ることになりました。
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一般席(17:30頃)
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特別観覧席(どんな人たちかな)
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写真左下付近上空に打ち上がります。(左のツインタワーの辺です)
かなり離れているので大丈夫かな?

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8月8日はフジテレビの日ですからお台場で見るのは正しいかも・・・
(観覧席の真後ろがフジテレビです)


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青白い花火は大好きだ。
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尺玉は高く上がるね。

因みに、8月8日が誕生日の著名人って結構多いんですよ。
私が尊敬する植草甚一さんを筆頭に、前田美波里、池端真之介(ピーター)、天海祐希、猫ひろし、白石美帆がおります。金八先生で知られる坂本金八も設定では8月8日生まれだそうです。記念日も多数あります。そろばんの日、スマイル記念日、ひげの日、デブの日(大日本肥満者連盟)など・・・
文献によると江戸時代(享保18年)に両国の川開きを祝って始められたのが花火大会だそうです。
花火職人と言えば「玉屋」「鍵屋」が有名。花火に向かって「たーまやー!」と叫ぶのはその「玉屋」に対する賞賛の掛け声です。

隅田川の花火を題材にした噺で「たが屋」という落語があります。気っぷの良い職人「たが屋」が些細なことで見物に来た殿様連中といざこざに巻き込まれる。しかしこの「たが屋」めっぽう喧嘩に強く供侍を相手に大活躍。供侍全員を切り捨てる見事な腕前。花火を見に来ていた連中は江戸子「たが屋」の威勢にやんやの拍手。最後は殿様の首を見事に切り落としその首が空高く舞い上がると「たーがやー!」の掛け声・・・と言った下げです。
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ちょっと離れすぎかなと思いましたが、まあまあの迫力でした。
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ちょうど2年前の東京湾大花火大会のスナップ。
やっぱり晴海から見上げる花火の方が迫力もあり会場全体が盛り上がっていたな・・・
来年はやっぱり「都はるみ」だ!!
Kazuo Habuka

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