干支「辰」02.jpg
「大晦日のNHK紅白歌合戦は久々に感動しました。
          一人一人の歌手の思いが伝わってきました。」
世界経済の不安定が加速しそうな勢いで、我が国日本も危うい状況になりつつあります。
将来、2012年に「ジャパン・ショック」があったなんて言われないことを祈るばかりです。
今年はオリンピックイヤーにあたる閏年(うるうどし)です。

1月14日は中華民国総統選挙。
2月21日はイエメン大統領選挙が実施予定。
3月4日はロシア大統領選挙。
4月15日は金日成生誕100周年。
4月17日はアメリカ合衆国軍が朝鮮半島での有事統制権を韓国軍に委譲、米韓連合司令部を解体。
5月22日は、高さ634m・世界一の自立電波塔/東京スカイツリー開業。
7月27日から8月12日まで、第30回夏季ロンドンオリンピック開催。
11月6日はアメリカ合衆国大統領、上院、下院各選挙投票日。
時期は未定ですが、フランス大統領選挙、韓国大統領選挙、
第18回中国共産党党大会開催。胡錦濤総書記・国家主席の後継が選出される。

世界が大きく動く年になりそうな雰囲気が漂いますね。
我が国は3月11日が「東日本大震災」一年を迎えます。
円高が続き、不況は依然として止まる様子もありません。
消費税の問題が政治経済の中心課題となっています。
もはや消費税の引き上げは已むを得ない(止むを得ない)と思います。
選挙を怖がって増税を引き延ばしてきた前政権にも責任があります。

「貧乏も慣れれば天国」という言葉を聞いた事があります。
日本人は「辛抱」という自国語があります。「心法」が語源という解釈もありますが、
元大関「小錦」が幕下の時兄弟子のいじめに悩み、
ハワイの先輩力士「高見山」悩みを相談したエピソードがあります。
「高見山」は「辛抱」と言う漢字を墨で書き、その意味を「小錦」に説明したそうです。
強い力士になるためには「辛抱」を稽古で克服しろと・・・
「我慢」とは異なり、「辛抱」とは念願成就のために堪え忍ぶことです。
2012年は「辛抱の年」と肝に銘じて迎える所存です。
無理せず出来る事を出来る限り出来るまでやり遂げましょう。
約半年ぶりの再開です!まだまだブログは辞めませんよ。

「ネットコミュニケーションの未来」
このブログは、弊社のホームページ内のブログなので、仕事関係の方や業界関係者の方もご覧になることもあるため、今やっている仕事内容やビジネスのヒントのなるような戦略視点などは書くことが出来ません。と言うより、そういう場ではないと判断して今後も継続する所存です。現在SNS、twitter、facebookなどがあり、コメントを掲載したり、対話したりすることで、思いがけない友人達と接触ができる時代になりました。「使い分け」という意味で選んでいられる方も多いいと思いますが、私の場合は「棲み分け」だと思うんです。SNS、twitter、facebookに関して、本名を使わないにしても、一人の個性が「その場」に関わって「棲んでいるいる」ことには変わりません。お伝えしたいのはネチケット(ネット上のマナー)という言葉がありますが、利用する側の「理性」や「配慮」に欠けるケースも多く見受けられます。Google+も登場して、さらにこう言ったアプリケーションが進化していくでしょいう。利用する側の「理性」や「配慮」も同時に進化していかないと、せっかくの新しいコミュニケーション手段として発展しなくなる可能性もあると思うのです。今のところ、自分にとってはfacebookが棲みやすい場所になっている。スマートフォンの普及も大きな原動力だろう。写真の掲載、記事のシェア、出身学校の接触など、良く出来ているなと感心する。600人近く友達が出来たが、実際にはアクティブな友人は30人くらいだろう。でもそれでいい。

「革新的な人材の枯渇は化石燃料の枯渇より悲劇を生む」
私の最も尊敬していた「立川談志」家元が亡くなられました。3年ほど前から病状が良くないことは知ってましたが、以外と家元はしぶとく生きていくんだ!と勝手に思っていましたが残念な結果となりました。
「革新的」という言葉が広告のキャッチフレーズのように多く使われるようになり、「革新的」という言葉自体の重みがなくなり、インパクトがなくなりましたが、家元の落語には「革新的」な「古典落語に対する挑戦」があったのです。
革新者=ビジョナリーという解釈もありますが、異端的、妄想的、創造的な思想や発想こそが「革新的」たる由縁だと思うのです。今、世界的に貧困化しているのは「革新的な人材」ではないかと思うのです。ジョブズや家元が亡くなって、ビジョナリーが消えたのでは思う今日この頃です。自由な発想を育てる環境を我々大人達が協力して再生させないと、保守的で「利口ぶった」一見正しく見える人間がはびこる世の中になるのだけは避けたい。朝青龍がいない大相撲は魅力がなくなった。勝新太郎がいない映画界は毒がなくなった。標準化していくことは国家・経営者にとって管理するには理想かも知れない。しかし、未来を考えれば新しさが生まれにくい世の中になっていく。

Kazuo Habuka

第二十二話 カメラバカ一代「デジタルカメラの急激な進化と写真文化の共生」その2
それは突然やってきた。気にはなっていたが、見ちゃいけないニュースだった。
ライカ社がとうとうデジタル・レンジファインダーカメラを発売したのだ。
その名も「Leica M8」。
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従来のM4で完成されたパーフェクトなデザインを踏襲した外観、そして操作性。
今持っているEPSON「R-D1s」への上から目線の挑戦状だった。
「どおっ?」っという「ふてぶてしい威圧感」があった。
「R-D1s」も素晴らしい日本の技術の賜だったが、
Leicaと比べれば所詮子供と大人の差だった。
価格も「R-D1s」のほぼ倍の580,000円とバカ高かった。
多分このくらいの価格だろうとは思ったが、あまりにも高額(涙)

「Leica M8」はシャッターの最高速が1/8000秒に設定されている。
CCD(イメージャー)のサイズは18mm×27mmで1,030万画素。申し分ない。
実際には、画角を35mmフルサイズに換算すると使用するレンズの倍率は1.33となる。

しかし、持ち合わせの現金もなく、しばらくの間「M8」に振り回されることになる。
「買える訳ないだろう!」と諦めたが、諦め切れなかった。
「M8」購入軍資金をを手持ちのカメラやレンズを整理して売却して作るしかなかった。
そこでYahoo!Auctionや馴染みのカメラ店のお世話になることになった。
Auctionでの落札相場やカメラ店の売却相場などを調べまくった。
「R-D1s」を先ず売ることになった。二つもデジタル・レンジファインダーカメラはいらない。
ハッセルブラッドも所有していたが、使う機会も減ったのでこれも売ることに・・・
「Leica MP」と「Leica M7」のどちらかは手放さざるを得なかった。
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当然ながら「Leica M7」を売ることに決めた。
全て状態も良く、ほぼ予定通りの金額で売却できた。
予定の購入金額を持って、ドキドキしながら新宿のカメラ店に向かった。
まるで子供(ガキ)だった。M8の所有者になる歓びを押さえながら購入した。

バカだと思うでしょうが、
カメラは人をバカにさせる魔力があります。
そして、Leicaは人を破滅させる危険性が本当にある。
銀塩に拘っていた私だったが、
ライカ社の本格的なデジタル参入によって、これ以降「共生の道」を進むことになる。

不定期に続く・・・




Kazuo Habuka

3年前に83歳で他界した父は、生涯を通じて「ジョージ・オーウェル」を研究し続けた英米文学研究者の一人だった。
ジョージ・オーウェルは20世紀にイギリスが生んだ
最高の作家・ジャーナリストと言われている。
 私が幼いときに「動物農場」(原題:Animal Farm)のストーリーを良く話してくれた。
分からないなりにも、「偏ったイデオロギーが猛進する怖さ」を何となく感じ取った。
「動物農場」は、第二次世界大戦集結の二日後の1945年8月17日に刊行された、
当時のスターリン主義やナチズムなどへの批判や警鐘を込めた大人の童話である。

動物を虫けらのように管理し、反抗分子を次々と処刑する「人間」を動物たちが一丸となって追い出し、
動物たちの手によるユートピアを建設する。 ここまでは「民主主義こそ理想」であるかのように思った。
しかし、そのユートピアも長く続かなかった。
動物たちの間においてもヒエラルキーが生まれ、嘗て人間がやっていた粛清が始まる。
動物たちが作ったユートピア憲法(十戒)は徐々に書き換えられ、全体主義〜恐怖政治が始まるのだ。
動物のトップに立ち、
スターリンさながらの絶対的な権力をもったのが雄豚「ナポレオン」であった・・・と、
そんなストーリーである。是非読んで下さいね。→ここ
アニメのANIMAL FARM(1954年英国制作)は、三鷹の「ジブリの森」ミュージアムで上映していました。
宮崎駿さんは長編アニメ映画の手本として、この作品をリスペクトしているのは有名。

私は大学生の時に初めて、ジョージ・オーウェルの「一九八四年」を読んで興奮し感銘した。
1948年の4と8を入れ替えた「アナグラム」の1984年は、全体主義国家により、
あらゆる人間性を監視し背けば収監し矯正する、
近未来社会の絶望的な圧政を描いた反ユートピア(ディストピア)小説である。→ここ

ソ連をモデルにしたと思われる「スターリン」と「トロツキズム」の模倣(偉大な兄弟:ビッグブラザー)
テレビと監視カメラが一体になった「テレスクリーン」による、
国家が情報を管理し統制をはかっていく「プロパガンダ型の網羅的システム」を、
ジョージ・オーウェルは鋭く緻密に且つ批判的に描いている。
もちろん村上春樹の「1Q84」は、「一九八四年」にインスパイアされた作品。
現代のマスコミに見られる「決めつける」「余儀なくさせる」「安易に風評を創造」するなど・・・ 
こんな時代をジョージ・オーウェルは危惧していたのだ。

ジョージ・オーウェルの作品には経験しなければ描くことが出来ないリアリティと感情があった。
1936年末にPOUM義勇軍(マルクス主義者統一労働党)に 
アラゴン戦線分遣隊に伍長として参加し戦ったオーウェルは、
反ファシズム勢力内部での欺瞞に憤慨したことが作家活動の原点となった。
動乱のスペインとソビエトの政治体制の支配力に晒された自身の経験から、
オーウェルは、あらゆる人間性を剥奪し、
蹂躙した不毛の権力機構への批判を先鋭化したと言われている。
私は、市民の生活・信条・生命に深く影響力を持つ「デストピア」という反ユートピアの存在を
「一九八四年」で知り、その警鐘が全く活かされていない時代に生きている気がするのだ。
「一九八四年」は、
マイケル・ラドフォード監督により1985年映画化されたので是非レンタルして観て下さい。
原作を読んでからの方がいいです。誤解します。→ここ

また巨匠リドリー・スコットが『1984』を映像化したアップル社のCMは有名。→ここ
この年ジョージ・オーウェルをトリビュートし大規模な「インターナショナル・プロジェクト」があった。
パリ〜ニューヨークを同時衛星中継した番組『グッド・モーニング・ミスター・オーウェル』が放映された。
このプロジェクトは故ナム・ジュン・パイク(韓国の前衛映像芸術家)が中心となって、
坂本龍一、ローリー・アンダーソン、ジョン・ケージ、アレン・ギンズバーグ、
ヨーゼフ・ボイス、ピーター・ゲイブリエルが参加した。
個性的なパフォーマンスを持つ現代の奇才たちがオーウェルに敬意を表して集まった。
多分、NHK教育だったと思うが、1984年の年末に編集版を放送した。
私は機会があってノーカット版を観た。とても刺激的だったのを覚えている。(VTR持っていますよ)
『グッド・モーニング・ミスター・オーウェル』は
愛知県文化情報センターのアートライブラリー内で閲覧できるそうです。(未確認です)
ジョージ・オーウェルの存在や主張がいかに様々な人々に影響を与えてきたかが分かる。

私は父が以外にも「シニカル」な見識を持っていたり、
「ジャーナリスティック」な視点を抱いていたことを知って嬉しかった。
「シニカル」はシェークスピアに始まるイギリスジョークだった。父は「ウイット」に富んだ人だった。
「ウイット」は笑いの最高峰と言っていた。
「ジョーク」はブラックが多い。ブラックがあるからジョークには幅が広い。
「ウイット」は人間性が表れるから私も好きである。
父の「ジャーナリスティック」な視点はジョージ・オーウェルを研究した成果であったのだと思う。
「イデオロギー」に対しては無口だった父だったが、父なりの「平和意識」を強く持っていた。
他界する寸前まで、もうろうとする中でも「童謡」を口ずさんでいた。
「夕焼け小焼け」は特に好きだった。
人間の「自由」や「夢」「喜怒哀楽」を奪う権力を嫌っていたと思う。
だからこそ、私には自由に生きて欲しかったのだと思った。

現在の我々の社会は、資本主義という「経済学の発明品」が地球上を覆い尽くした結末なのか?
それとも全てのイデオロギーに勝利した最強と言われる「自由主義または民主主義の限界」なのか?
多分「人類の進化と発展の最終地」に我々は確実に向かっているのだと思う。

我々は、今回の「大震災が語るメッセージ」をどう受け止めるかが「未来」ではないか。

いまこそ「豊かさとは何か?」「自由とは何か?」を考える上で、
我々はジョージ・オーウェルが残してきたものをもう一度目にする必要がある。
ジョージ・オーウェルが「原発」を知っていたならばこう語っただろう、

「科学技術は本当に人間を幸せにしてきたのだろうか?」


Kazuo Habuka

第二十一話 カメラバカ一代「デジタルカメラの急激な進化と写真文化の共生」その1
不満を持ちながら「LUMIX DMC-LC40」は活躍した。
しかし、自分にとって「銀塩カメラ」が主流であることを全く疑おうとしなかった。
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※機械式シャッターの最高峰 Leica MP

当然持ち歩くカメラはレンジファインダーのLeica M4、MP、M7だった。
それは時間とお金をかけ、知識も備えながらこつこつ揃えてきた
「ライカMマウント」の歴史的銘レンズがあるからだった。
装填するフィルムはリバーサル。KODAKのE100Gがお気に入りだった。
私はすっかり、ライカのボディとレンズの哲学とその魔力に圧倒されてしまった。
愛機OLYMPUS OMシリーズの出番も徐々に減少していった。

自分の中では「所詮デジタルはデジタル」のはずだったが、
2002年「キヤノン EOS-1Ds」の登場で一気にその認識が変化する。
とうとう出ちゃったな・・・って感じだった。
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35mmフルサイズのセンサーを搭載したこのフラッグシップモデルは、
多くのプロカメラマンやマニアが評価し手にしたモデルだった。
再現性・表現力共に素晴らしかったが
大きなボディとあまりの高額(50,0000円-60,0000円)が難点だった。

レンジファインダーのデジタルはないのか?とふと思っていたら、
2004年、あのEPSONから「R-D1」という画期的な
世界初デジタル・レンジファインダーカメラが登場した。
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カメラの設計はコシナが担当しフォクトレンダーBESSAの技術がつぎ込まれた。

どうしよう?ライカMマウントの交換レンズが使える・・・
同時にライカ社でもデジタル・レンジファインダーの開発中のニュース。
発売は未定だったが、びっくりするくらい高いのだろうと思った。

カタログを眺めたり、カメラショーに行ったり、店員と話したりと
EPSON「R-D1」への思い(購入前提)は1年以上続いた。
ボディだけでも280,000円位するし・・・

2006年のある日、EPSON「R-D1」は「R-D1s」へ
マイナーチェンジされ発売されるというニュースが入った。
「もう我慢の限界!」と言うことで購入を決定した。
スペック的には35mmフルサイズのセンサーではありませんが、
実用的には何も遜色ない性能で扱いやすかったな。
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※ノスタルジックな雰囲気のボディ。これでデジタル!
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メーター類もアナログチックでCOOL!
フィルムではないのにチャージレバーがオシャレです。

一年以上うなされていた病が治った感じだった。スッキリした。
この頃から技術も進歩し、デジタル特有の弱点が解消しつつあった。
アナログの透明感や微睡むようなボケが再現できるようになったのだ。
確実にデジタルは「進化」していた。それも想像以上に速いペースで・・・

しかし、ホットしたのもつかの間、
「R-D1s」購入して半年も経たないうちに衝撃的なニュースが飛び込んできた。

不定期に続く・・・




Kazuo Habuka

第二十話 カメラバカ一代「デジタル革命に屈するか、対抗するか?悩みは膨らんだ」その4
2002年8月、自身の記念すべき初デジタルカメラは
パナソニック社製「LUMIX DMC-LC40」になった。
当時既にデジタルカメラは一般家庭にも普及し、フィルムカメラを凌ぐ勢いだった。
カメラのデザインもファインダーを覗くカタチから、
ライブビューと呼ばれる「モニターで確認」する撮影に変わっていった。
つまり、カメラからファインダーを取り除いたデザインになっていったのである。
様々なカメラを物色したが、
ファインダーのないデザインはどうしても受け入れられなかった。
私から見れば「LUMIX DMC-LC40」は、カメラ本来のデザインを残しているように見えた。
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レンズもLEICAの厳しい審査基準に合格したF2.0-F2.5 17mm-21mmが搭載されていた。
取り敢えず使ってみようと言うことで購入した。
標準価格6万9800円とデジタルカメラの中では以外と高かった。
有効画素数は390万画素、モニターも1.76インチ(小さーッ)と、
現在の携帯電話やスマートホンより劣るスペックだった。
しかし当時ではかなりの高画質で高精度だったと記憶している。
「とうとう電気屋のカメラを買っちゃったな・・・」と複雑な気持ちだった。

イベントや社員旅行など、主に「記録するカメラ」として、
使い続けている「フィルムカメラ」とは完全に使い分けていた。
資料提出や企画書に挿入する画像データには、フイルムデーターは不便だった。
カメラ屋にフィルムを預けてスキャンしてもらうのが面倒だった。
デジタルカメラのデーターはJPG(ジェーペグ)と呼ばれる書類形式が一般的。
100KB程度であれば十分な画像だった。鮮明でキレイな画像には驚いたが・・・
「何か物足りないな!」と感じていた。
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※静岡県賀茂郡松崎町「なまこ壁」
隅々までピントが合ってしまって、平坦な感じがする。

明らかにフィルムカメラとは違う「嫌な感じ」
「これって一体何だろう?」と、
デジタルカメラを徹底的に探求し始めることとなった。

不定期に続く・・・

Kazuo Habuka

第十九話 カメラバカ一代「デジタル革命に屈するか、対抗するか?悩みは膨らんだ」その3
CDの圧倒的な商品力と同時に普及スピードでレコード文化は終わった。あっけなかった。
しかし、自身はレコードも沢山持っているし、まだまだ楽しめると当時は思っていた。
その頃は、「レコード」「CD」「カセットテープ」といった
異なる3つのフォーマットで音楽(音源)は作られ一般市場に販売されていた。
しかし、時間の問題だった。
「レコード」と「カセットテープ」はその後市場から姿を消す。

デジタルの風はカメラ業界にも吹いた。「デジタルカメラ」の登場であった。
属に言う「デジカメ」は三洋電機が商標登録を持っている。
正式には「デジタルスチルカメラ」と言うらしいが・・・

オーディオもそうだったが、
デジタルによって「オーディオメーカー」以外の「電器メーカー」が参入してきた。
カメラも同じで、「光学機器メーカー」以外の「家電メーカー」が挙って参入してきた。
レンズが作れない会社のカメラなんて・・・そう思った人は多かった。

当時、プロ用のデジタルカメラは既に発売されてていたが高額であった。
1994年、電算機メーカーのカシオが「QV-10」を一般ユーザー向けに発売。
税抜きで65000円という画期的な価格も手伝って、
デジタルカメラ市場は一気に加速し始める。
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1.8型のTFT液晶カラーモニター、25万画素と、今の携帯よりもはるかに劣るスペックだった。

デジタルカメラの普及によって、カメラのあり方や写真のあり方が変わっていった。
写真は、「作品」ではなく「記録」へ、「情報」に変わっていった。
その後のWindows95の登場で、パソコンの家電化とインターネットが普及する。
その普及に連動するかのように、画像を取り込む、メールで送る時代になる。

カメラ・フィルム業界は必死だった。死活問題だった。
1996年に、APS(Advanced Photo System)規格のフィルムやカメラを導入したが、
あまり普及しなかった。完全に手遅れだった。
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APSフィルムカートリッジと最も売れたAPSカメラCanon「IXY」

大衆がフィルムに画像を写す時代が終わりを告げた。
私を含めた一部のマニアの世界でしかフィルムユーザーはいなくなった。
まだフィルムですか?は、まだレコード聴いているの?と同じ感覚を覚えた。
どちらが本物か?は現在でも明らかだが、
「デジタルがデフェクトスタンダード」であることは最早否定できない。

リバーサル・フィルムの手焼き職人がいなくなり、
その印画紙の供給も途絶えた。終わったな・・・
それなら納得するデジタルカメラを探そう!と、
キモチを切り替えることになる。
デジタルに屈したわけではないが・・・悔しい。
デジタルと対峙する関係の始まりでもあった。

不定期に続く・・・

Kazuo Habuka

東北関東大震災の被害が日増しに明らかになってきた。
広告業界においても、今回の大震災の影響(打撃)は避けられない。
仕事の関係で、
「阪神淡路大震災」と
「新潟県中越地震」と今回の大震災を比較してみた。

1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災は、
発生の2週間後の2月2日に震災被害の全容が判明している。
東京では3月20日に「サリン事件」が発生したこともあり、
関心がそちらの方に偏った記憶がある。
実際、事件ななった築地駅の近くに会社があったことから、
周辺の話題は「サリン事件」に集中した。
震災の半年後にはJR、私鉄全線が復旧している。
ルミナリエは震災の鎮魂を込めて行われた。
「がんばろう神戸」のスローガンで関西は一丸となった。
オリックスブルーウェーブは
この年からパリーブ連覇を成し遂げる。

2004年の10月23日に発生した新潟県中越地震は、
約2ヶ月余りで関越道、全ての鉄道が復旧している。
復興のスローガンは「元気だしていこー!新潟」だった。
被害の大きかった山古志村が注目された。
山古志村は翌年平成の大合併で長岡市に編入。
平原綾香の「ジュピター」が復興ソングとして定着した。
「長岡まつり」が復興のシンボルイベントとして日本中が注目した。

分かったことは、
今回の東北関東大震災の被災規模の全容が解明していないこと、
(特に不明者が現在でも1万人以上いる)
地震と津波による「福島第1原発事故」の被害がかなり深刻で
その放射能汚染が進行中であること、
被災規模が余りにも広域に拡がっているため
存命の被災者・避難者への救援(物資)が十分にできていないこと、
避難施設で亡くなるお年寄りや患者が増えてきている。
終息の道は未だに見えていないのが事実だ。
現段階で被害総額が25兆円を超える意見も出ている。

景気が低迷していた時期に起きた未曾有の大災害。
震災後に起きる様々な事態に東奔西走する国家、自治体、企業。
今、出来る人が、出来ることを、出来る限りやることが最優先だが、
これからの日本を導くしっかりした国家戦略を早く提示して欲しい。
国家の生命が懸かっている・・・

Kazuo Habuka

原発事故には風評が生まれやすい。
昔、電発(原発、水力、火力、風力など)の広報の仕事を手伝ったことがあります。
私は、所管の人々が世間に対して秘密を隠す傾向はなかったと思う一人です。
それより、マスコミの不勉強さが強く感じます。
東電からも幾つか福島原発の広報資料が入手できます。
スタジオに学者を呼び自由に発言させるのも良いですが、
正しい理解は先ず発信者(放送事業体)からです。
福島第一原子力発電所第3号機/
平成22年度定期事業者検査実施結果報告所のなかに
3号機には、ウラン・プルトニウム混合酸化物燃料が
装備されていることが書かれています。

ここをご参照下さい。

福島第1原発3号炉の燃料にプルサーマル(MOX燃料)を使用している事が、
多分、今デリケートな問題なんだと思います。
隠している訳では無いけど、プルトニウムが変にメディアで先走るのは嫌です。
正しい判断には勉強しかありません。
難しいけど、原発と共に生きる国であることを深く理解し、
他人行儀に風評を生むような意見は語るなかれ。ですッ!

Kazuo Habuka

東京消防隊の総隊長ら3人の記者会見があった。
震災の翌日から福島原発の対策が始まっていた。
実践に向けての念入りな計画と演習が明かされた。
しかし、実際に現地に出向くと、津波の被害の大きさに阻まれた。
自分等を侵す放射能の危険性と国民の生命の保守との狭間で、
隊員達の必死さが伝わり涙が出た。
彼らは克つ!日本人は克つ!と確信した。
いろいろ国を批判的に見たり 発言したりしたけど、
この国は最後の砦に立つ人々は 本当に凄いサムライばかりだ。
だから日本は素晴らしい国なんだと 改めて思った。
世界一責任感を持ったプロ達が 今、東北関東大震災に集結しているのだ。

Kazuo Habuka